2020.09.30
ལེགས་པར་བཤད་པའི་ཆུའི་བསྟན་བཅོས་ལུགས་གཉིས་རླབས་ཕྲེང་བརྒྱ་ལྡན་

事実と向き合う人たちの善意の贈り物

『水の教え・波打つ数の二つの教え』を読む・第132回
訳・文:野村正次郎

真実を知っている瑜伽行者は

慾望を享受しても執着しない

魚は深い水のなかに泳いでも

水害に晒されることなどない

132

真実である空性や無我を理解している瑜伽行者は、眼識・耳識・鼻識・舌識・身識の五根による認識が対象とする色処・声処・香処・味処・触処という快楽を与える五欲の対象たる如何なる物質を享受しようとも、その物質は、我々の知と無関係に真実として成立しているものであるとは捉えないので、それに対して執着することはない。本偈ではこのことを魚はどんなに深海を泳いだり、大量に水を飲み込んでも、過水症や水中毒になることはない、ことに例えている。

これは生物の個体に、十分な抗体や免疫力を持っているならば、疾病の原因となる病原体を体内に摂取しても、疾病の症状が発症しない原理と同じ原理である。出離心や菩提心を十分に保有していれば、罪業の原因となる煩悩が表面化して、煩悩に支配された病の発症状態になることはない。何故ならば、解脱のために戒体を護持しようとし、一切衆生の利益を自己愛より優先することができるようになっているからであり、すべてのものは知に現れている通りに存在しているものではないことを理解しているからこそ、様々なものごとが知にどんなに現れても、それは現れている通りに事実として存在しているものではないと意識することが可能であるからである。

「瑜伽行者」(ヨーギン)とは密教の修行の本尊瑜伽などを行う者や坐禅をしたり、体操のようなヨガを行うものを想像しがちであるが、これもまた表面的な説明に過ぎない。「瑜伽」とはサンスクリット語の「ヨーガ」を音写したものであり、「真実と結びつく」という意味であり、これに該当するチベット語の「ネルジョル」とは「公正なものを享受する」という動詞由来の合成名詞で翻訳される。そしてそれする者のことを「瑜伽行者」(ヨーギン/ネルジョルパ)と呼ぶのであり、様々な妄想や雑念を断ち、精神が常に真実と向き合って、一歩も揺らがず、偽物である虚偽なるものを看破する力をもっている状態である。

ダライ・ラマ法王がよくこの「瑜伽行者」は、現代の自然科学の科学者や物理学者や数学者なども「瑜伽行者」といってもよいとおっしゃっている。科学者は客観性を追求し、実験や検証によって事物の真実を明らかにしようとし、客観的事実や公理の解明に日々努力しているからである。「瑜伽行者」というものもこれと全く同じことであり、単に洞窟で修行したり、結跏趺坐を組んで過ごしたり、密教の法要などを行って読経したり真言を唱えているだけ、真実を全く探究していないのならば、瑜伽行者であるとはいえない。本偈の表現を借用するのならば、どんなに魚のように泳ぐことができても、水中で呼吸できないただの人間のような状態であるといってもよい。このような理由からも、私たちはまずは無我の理解を深めることに励まなくはならないのであって、そのために偉大なる仏典を学ばなければいけないということになる。

仏典を学ぶ際も、言葉に依らず意味に依らなければならず、言葉通りに受け取ってはならない未了義には依らず、了義に依らなければならない。そして真実や了義を探究するたまには、科学者であろうとも、仏教の信者であろうとも、自らの知性を公明正大にし、客観的論理的に判断することが要求されている。

私たちは、常に日常生活で様々なものを享受し、様々な現象を目にしている。しかしそれらのすべては私たちに現れている通りに存在しているものではない、と言われている。我々がすべての出来事が虚偽である、という理解にはすぐには達せないけれど、それらがそのように諸仏や賢者によって説かれていることは理解できるし、我々はすべての出来事を表面的に理解して、一喜一憂してもあまり意味がない、ということは理解できるだろう。無我を理解する瑜伽行者にすぐになることはできなくても、自分の精神状態をすべての出来事に惑わされないように冷静沈着に保つことはできるし、そう努めることはできる。そしてそのような姿勢こそが、我々が学ぶべき瑜伽の最初の姿勢ではないだろうか。

今回の感染症ですでに世界の死者を数えれてみると、100万人を超えてしまっているが、しかし一方では、2300万人以上もの人たちが回復をしている。これが事実の数字の積み重ねである。この事実の数字をみるかぎり、ただただこの感染症で発症した人たちを回復のため、真実を手探りで努力をしておられる世界中の医療関係者の方たちの存在を感じることができる。彼らにも家族がいて、彼らも自宅で静かに暮らしたいが、そういう訳にもいかないのも事実である。回復者が増え、死者が現在の数でしかないということは、科学者という瑜伽行者たちの善意の賜物である。回復者の数に注目するのならば、人類の未来は決して暗いものではないということ、そしてそれを突き動かしている善意の人々への深い感謝の念が湧いてくるものである。

世界で回復者数を生み出しくれる現代の瑜伽行者

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