2020.09.27
ལེགས་པར་བཤད་པའི་ཆུའི་བསྟན་བཅོས་ལུགས་གཉིས་རླབས་ཕྲེང་བརྒྱ་ལྡན་

ダイヤモンドの価値を忘れてはいけない

『水の教え・波打つ数の二つの教え』を読む・第130回
訳・文:野村正次郎

双入という龍王の大国である

金剛乗という大海を目指している

そこへと架けられているこの桟橋

四灌頂 これは宝石の梯子である

130

仏教とは、釈尊から伝わることばの襷でもある。この襷は遠く海の向こうのインドから、ひとりひとりと渡されてきたものであり、そのゴールは、すべてのものの苦しみをゼロにする、涅槃寂静の境地を目指すものであり、私たちはこの駅伝に参加している。

襷を託された者には、このその襷を次の人にしっかりと託す使命をもっている。時には途中で寄り道をするかもしれない。あるいは走り続け疲労困憊し、しばらくの間は道端で休まなくてはならないかもしれない。しかしこの地上でこれ以上の価値のあるものが存在しない、この貴重品をいま手にしている限り、この歩みを決して止めてはいけない。稀有なる聖なる灯火を決して自分のところで無残にも吹き消してよいはずがない。私たちは輪廻からの解脱を望み、自他ともにすべてのものが一切相智の境位へと向かうため、そしてそれが一刻でもはやく実現できるために、道程を高速化する果金剛乗へと進んでいかなくてはならないのである。この駅伝の開会式にあたるもの、これが灌頂となる。

それでは、灌頂とは一体どのようなものか、ということを本偈をもとに少し考えてみよう。「灌頂」とは「頭頂に水を濯ぐ、という訳語が示すように、瓶の水を頭頂に濯ぐ、密教における入門儀式である」と書かれているものを見かける。しかし、これはあまりにも表面的で物質的で不親切である。たとえば「あの人はどんな人ですか」と聞かれて、「あの人は田中一郎さんという男です」と答えてもあまり意味がないのと同じであろう。

それでは阿闍梨が灌頂を授与する・弟子が灌頂を授けるということは一体何をどのように授かるのか、ということを簡単に述べるならば、菩提心を起こし空性を観察し止観の双運の境地を目指す修行者は、空性を観察する三昧を行いながら、その空性を捉える知の所取相それ自体を修行の結果として得られる仏の色身と同じ形象をもつものとして生起させることを修習しなければらならない。これが本尊瑜伽と呼ばれるものであるが、本尊瑜伽を行うためには、その本尊の色身それ自体、即ち物質に関与している色身それ自体の加持の相承、すなわち物質的な連続にあるものを授かって、それによって自己の意識と身体が、本尊そのものと一体のものであると信解して、本尊としての活動が可能な状態を作り出さないといけない。何故ならば、もしも通常の自分の肉体に対して、それを捨てて、本尊から授かった身体によって自分が構成されている、と考えることができなければ、本尊としての責任感と知性をもって、活動することが可能な状態になることができないからである。

駅伝選手は、誰から襷をもらい、その襷をもって責任をもって走って最終目標地点には辿りつこうとする。襷をもっている選手であれば、周囲から応援されたり、水分を補給することができるのだが、選手でもなく襷もない、駅伝の観客が隣ですこしばかり真似をして走っても、周囲のサポートを受けることもないし、途中の補給地点に用意されている水のボトルを勝手に飲んだりしてはいけないのと同じである。もしも駅伝選手として走りたければ日頃から鍛錬をし、選手登録をし、必ずゴールを目指しますと宣誓し、自分の番がやってきたら責任をもっては走らなければならないのである。機密保持された暗号化された教えを授かり、襷を手渡された限り、何としてもゴールを目指さないといけない。

これと同じように本尊瑜伽の修行をしてもよいという権限を得た限りにおいて、必ず二十四時間三百六十五日間、本尊としての活動として恥ずかしくないように、しっかりと本尊瑜伽の実践をし、灌頂儀式のなかで、「あなたは将来、〇〇という如来になる」と本尊と一体である阿闍梨に授記された通り、〇〇如来として恥ずかしくないような活動をしなくてはならないのである。

そしてそのような重責を堅い決意とともに担っているからこそ、この密教の弟子は、「ダイヤモンドの弟子」「金剛弟子」と呼ばれるのであり、それを授けてくれる阿闍梨は「ダイヤモンドの師匠」「金剛阿闍梨」と呼ばれるであり、その歩むべき道は「ダイヤモンドの道程」と呼ばれている極めて稀有なる存在にほかならないのである。瓶灌頂・秘密灌頂・般若智灌頂・語灌頂という四灌頂は、無上瑜伽怛特羅の灌頂を数えたものであるが、本偈ではそれらのことを「宝石でできた梯子」と表現している。

また一方、「灌頂」において最も大切なのは、「権限の譲渡を得た」という意識そのものであるという。それは灌頂を授かった後には、菩提心によって裏付けられた空性に対する禅定をしながら、自らの「所有」しているものである。最強の強度をもち、決して輝きを失うことも壊れてしまうこともない、ダイヤモンドのような貴重な権限である、釈尊から伝わってきた宝石でできた襷や宝石でできた梯子、これは仏国土という大海原へ向けて航海する船に乗るための梯子なのである。

いまから1200年以上前には弘法大師空海によって日本には密教が伝えられ、21世紀になって宮島での灌頂会を口切に、ダライ・ラマ法王ご自身によっても私たちはこのダイヤモンドでできた決して輝きを失わない、決して壊れることのない、仏の世界への階段を譲渡してもらい、それをいまも私たちは自分の心で所有している。これは物理的な事実である。

私たちが如来の家族としてどのように暮らすべきか、それは菩薩としての誓いをたて、西を向きながら、あの曼荼羅の東門をくぐった時から、如来たちによって既に利他のみを行うことにほかならない、と託されたはずである。そしてこの地上に存在する最も貴重なものを私たちはいま所有している。釈尊から代々と伝わってきたの貴重なダイヤモンドを何処かに忘れてしまったり、落としてしまったり、粗末に扱って泥まみれにはしないよう、気をつけたいものである。

101.73カラットのダイヤモンド「ウィンストン・レガシー」


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