2020.09.05
ལེགས་པར་བཤད་པའི་ཆུའི་བསྟན་བཅོས་ལུགས་གཉིས་རླབས་ཕྲེང་བརྒྱ་ལྡན་

完全なる非暴力主義を貫かんとすること

『水の教え・波打つ数の二つの教え』を読む・第117回
訳・文:野村正次郎

清浄なる戒により

堕罪のすべての垢を取り除く

ケータカの実の粉末により

汚れた水を浄化するのである

117

戒とは、他者に対して危害を与えたり、その可能性があることから、自らの意思を背けそれを断じたいという意思のことである。この中心となるものが、自分はそれを断じたいと宣言して受戒した律儀戒であるが、外面上、衆生に危害を加えない状態が完全になったからといってこれは戒波羅蜜とはいえないのであって、自らの意思で全面的に全面的に禁じたいという思いへと昇華した場合に、これは戒波羅蜜となる。

戒を分類すると、律儀戒・摂善法戒・饒益有情戒という三聚浄戒があり、摂律儀戒とはいわゆる戒律のことであり、十善戒と言われる十不善を断じたいという十断や、七種類の別解脱戒がそれに該当する。摂善法戒とは、六波羅蜜などの善なる法を志向して、自分の精神状態にそれらが実現し、より強固に発展的なものとなるようにすることである。饒益有情戒とは、自らの禁忌の意思によって、他の衆生の今生・来世における利益を罪業を犯すことなく、その都度実現することを指している。

戒とは断じたいという意思のことであるので、その意思を強固なものとするためには、禁止事項に対して違反した場合にどのような問題が発生するのか、禁止事項を違反せずに正しく断じている状態には、どのような功徳があるのか、というこの二点をよく理解しておかなければならない。特に禁止事項について正しく理解することは、どのような場合に違反となるのか、という具体例を正しく理解することであり、それを知り如何なる場合でも違反しないように、自らの意思で禁忌する意識をもつことによって、善とは何か、ということに対する理解も深めていくことができる。

戒律を正しく守って生活をしている、ということは、菩薩や出家した僧侶たちの生活様式の基本であるが、その営みは、ただ罪業のもつ過失を深く理解し、それを慎むことの功徳を深く理解することによって実現できるものである。これまでも述べてきたように、不殺生などの善業を実践することは、社会的な規則ではないのであって、あくまでも個人の精神的な営みに過ぎない。また律儀戒に含まれる別解脱戒は、声聞・独覚にも共通のものであり、菩薩行として学ぶべき戒律は別解脱戒とは別にあるべきであり、大乗の戒律はそれとは別にあると考えるのは誤解であり、菩薩乗であっても律儀戒が失われてしまえば、すべての戒律が失われてしまう、ということは『瑜伽師事論』『摂決択分』で説かれているので、それらを曲解すべきではない、とツォンカパやゲルク派では説いている。

また戒律は、もっとも尊い、もっとも美しい、最高の宝飾品であり、最高の香水である。通常の宝飾品であれば、それをつける者の年齢層であったり、性別であったり、また時や場所や機会によって似つかわしいかどうかの違いがある。香水であれば、人によってはその薫りが悪臭に感じたり、風向きによっては、芳香を感じることができないこともある。しかしながら、戒律という宝飾品や香水は、そのようなことは一切はなく、戒律を正しく守り、徹底した非暴力主義を貫き、罪障を禁忌する意識をもつものは、言葉に出して語って宣伝しなくても、生活必需品は自然と集まってくるものであり、世間から自然と尊敬され、最終的には仏の境地に辿りつくことができるのである。

釈尊は、まずはすべての衆生に対して親疎の区別をするのをやめ、他者の幸福や不幸に対して責任をもち、私たちひとりひとりのそのすべてが仏の境地を実現せんとする菩提心を起こしなさいと説かれている。その上で、自己の所有欲をすべて放棄し、他者に与えたいという布施の意思を持ちなさいと説かれている。そしてその上で、決して他者に危害を与えないように、その可能性のあることから退き、罪業を禁忌したいという徹底した非暴力主義を貫きなさい、と説かれている。このようなことができる菩薩たちがこの世に増えるならば、いま私たちが住んでいるこの世界は、どれだけ美しく、どれだけ安心感のもてる、心穏やかな、すべての生物にとってやさしい世界が実現できるのか、このことを想像してみるとよいだろう。

釈尊の説いている発菩提心・布施波羅蜜・戒波羅蜜という考え方は、決して特定の宗教の一教義であったり、人類が過去に理想とした絵空事であろうか。厳密に戒律を遵守している世界とは、絵空事であろうか。輪廻には希望はないにしても、解脱や涅槃の境地への歩みには希望はないのだろうか。そう考えてしまうことは、もういちど業果の法則を思い出してみるとよい。ある営みを行う、ということ、それはその営みの結果が増殖することであり、その営みの結果が自然消滅することにはならない。布施波羅蜜や戒波羅蜜が実現できる社会、これ以上に素晴らしく美しい世界はない。すべての人が非暴力主義を貫く心が浄らかで安心な社会、私たちが未来に向かうべき社会とは、これ以外には何処にもないだろう。

戒律という宝飾で飾られた人々は美しい

本記事は現在世界的に拡大している新型コロナウイルス感染症の早期終結を祈願し、毎日1偈チベットの箴言を翻訳して連載して、配信しているものです。


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