2020.06.20
ལེགས་པར་བཤད་པའི་ཆུའི་བསྟན་བཅོས་ལུགས་གཉིས་རླབས་ཕྲེང་བརྒྱ་ལྡན་

受信装置の微調整をして正法の器となる

『水の教え・波打つ数の二つの教え』を読む・第89回
訳・文:野村正次郎

慢心を退け 静かに律し

正法の器となるべきである

河が高地に留まらず

低地へと巡り流れてゆく

89

私たちは日々様々なものを享受して生きている。しかしながら同時に私たちは、そのひとつひとつのものを丁寧に慎重に公平に享受している訳ではない。またひとつひとつのものをそのものの存在の意味と存在の価値を測りながら享受している訳ではない。もしも朝起きたその瞬間から、夜寝るまでの間に享受しているすべてのものをきちんと享受しているのならば、一体如何なることになるだろうか。一日一日の出来事は、膨大な質量となり、我々はその享受物の重さに押し潰されてしまうからもしれない。

一日に記憶できる出来事の容量は限られたものに過ぎず、それらの記憶を更に次の日に繰り越すことができるものも限られたものに過ぎない。街を徘徊すると様々な人生と背景をもった人々と通り過ぎるだろう。それらの別の人格とも大した交流もすることができない。移りゆく街の景色、自然の現象、それらの大部分を我々は見過ごして生きている。我々の意識は常に散乱しており、集中力を欠いており、微細な対象はまるで逃げ水のように我々の手中に収めることができないのである。

生きているこの出来事に、何らかの別の意味を与え、そしてこのすべての瞬間を公明正大に享受し、それを論理的に分析し、よりよい未来と希望へとつないでいくことは極めて難しい。私たちは自分で何か知った気になって、既知の対象であるとその対象を見過ごして、自分の眼や耳の赴くまま、見えるまま、聞こえるままのその荒い認識対象の塊さえも、じっくり見ていなかったことや、聞こえなかったことにしている。

しかし、ある時に、諸仏たちとの交流をしようと心に決めて、解脱や一切相智の位を夢見るとき、まずは自分たちが享受し、受信しているこの身体と精神とで構成される受信器を、もっとよい精度の高い受信器へと変換しなくてはならないことに気づくのである。私たちというこの受信装置をまずは調整し、受信できるものをなるべくフラットなものとし、受信装置の精度を微調整し、正法というこの不死の甘露水をできるだけ、この受信装置でしっかりと受け止めなければならない。受信装置に入ってくる情報のなかには誤った情報であったり、すぐには確認できない未確認の情報であったり、様々な質量をもった情報が吸収されていくだろう。後で整理すると不要な情報に過ぎないものであったり、誤情報に過ぎないものもあったりする。しかし高精度の受信装置というのは、粗く不確かな微細な出来事も受信することができなければならないのである。もしも最初から必要な情報だけを取捨選択するようなフィルターをこちら側につけてしまうのならば、受信可能な情報は粗く不確かなものに過ぎず、そのようなことを受信することに費やす労力や集中力は必要ないということになる。

本偈ではこのように正法の受信器である弟子という私たちの器をまずは微調整して、師事する釈尊から連綿と流れてくる正法という名の甘露水をしっかり受け止めることの大切さを説いているものである。私たちは騒音を受信するのではなく、妙音と呼ばれる仏の言葉を受信しなくてはならない。このことはアールヤデーヴァは『四百論』では、

公正で 知性があり 探究心のある
この聞者を「器」と呼ぶのである
説法者の長所が別になることはない
これは聴聞者の場合もまた同様である

と述べられているのであり、また『菩提道次第論』では次のように述べられている。

たとえば器が伏せて置いてある。あるいは口を上に置かれているが中が汚れている。または、汚れてないが底に穴が空いている。こうした器には、いくら神々たちが雨を降らせたとしても、その中に水が満ちることもなく、たとえ水が満ちたしても中は清潔でなく汚れており水を飲むという目的を果たせない。中が汚れていなかっとしても、中に水が満ちること無く漏れてしまう。

これと同じように、説法の法苑にいても、充分に耳を傾けない、あるいはまた傾けても誤解し誤った動機に固執してしまうこともある。こうした過失がなかったとしても、聞法の時に、言葉と意味に確定ができずにすぐに忘れてしまったりする。こうした過失があるならば、聞法することがそれほど大きな必要性のないものとなってしまう。それ故にそれらを回避しなければならない。

果たして私たちは、毎日本当の意味で釈尊の弟子として、その説法という法の雨を受け入れる器となることができているのか、そのことを自問自答していかなくてはならない。これが善知識に師事する際に、自分たち自身に対する視座の指標となるだろう。

本記事は現在世界的に拡大している新型コロナウイルス感染症の早期終結を祈願し、毎日1偈チベットの箴言を翻訳して連載して、配信しているものです。


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