2020.06.19
ལེགས་པར་བཤད་པའི་ཆུའི་བསྟན་བཅོས་ལུགས་གཉིས་རླབས་ཕྲེང་བརྒྱ་ལྡན་

水回りを清潔に保つこと、善知識に師事すること

『水の教え・波打つ数の二つの教え』を読む・第88回
訳・文:野村正次郎

世間と出世間との

すべての善の根源が師なのである

閻浮提の植物と果実のこのすべてが

無熱悩池に住む龍の恵みであるように

88

我々が住んでいるこの南瞻部洲の北には、九つ黒い山があり、その先には雪山(himavat)があり、そこから香酔山(gandhamādana)のこちら側に縦横五十由旬ある巨大な池(湖)があり、それを「無熱悩池」(阿耨達池anavatapta/anāvatapta)という。

この無熱悩池は、南瞻部洲の中心にあり、八功徳水で満たされており、そこからガンジス河・シンドゥ河・ヴァクシュ河・シーター川が流れている。この場所には神通力がないものはいくことが困難であるが、そこには「ジャンブの樹」というのがあり、そこから落ちて無熱悩池に落ちた美しい果実が「ジャンブ」という音を立てたので、我々が住んでいる場所は「ジャンブ州」という名称を得ることになったと言われている。

この「無熱悩池」(anavatapta)は現代ではマナサロワール湖であるという研究者もいるが、実際にはこの湖がどこを指しているかは分からない。「無熱悩池」(anāvatapta)の名称は、ここに住んでいる八大龍王のひとりである無熱悩龍王の名前に因んだものであり、無熱悩池の存在については『大般若経』『勝鬘経』『法華経』『方広大荘厳経』にもあり、日本でも八大龍王を祀っている古刹もある位、仏教国共通に慕われている龍王のひとりである。

龍/竜と書く動物には二種類があり、空を跳び勾玉をもっているのは通常、「龍」と書くものであり、所謂ドラゴンである。ブータンは「龍の国」と呼ばれているが、この場合もドラゴンであり、このドラゴンは勾玉をもっているので空を飛ぶことができて、ガルーダと闘うことができる。竜と書く場合には、より広義の意味をもち、一般に水があるところを生息地とする動物のことを表している。ドラゴンである「龍」はナーガの一種であり、分類学的には、竜も蛇もミミズもウナギや穴子も、竜である。ナーガの訳語として龍をあてる場合も多いので、ここでは龍と表記したい。蝮や白蛇は日本でもよく神格となっており、蛇は、西洋では医学や薬学の象徴でもある。

龍は畜生の一種で、言語を解している生物であり、彼らは議論が好きであり、宗教や法話が好きな動物でもあるので、釈尊は説法をされるときには、人間の言葉だけではなく、神々や夜叉や龍たちの言葉でも説法されたと言われているし、仏典結集の後に人間界では大乗非仏説を唱えるものや、部派仏教ではお互いに喧嘩しあって根本分裂が起こったので、大部分の大乗経典を龍が龍宮にもっていって保管したと言われている。これを再び地上に招来したのが、ナーガールジュナということになる。

この地球上の龍たちがもしも無熱悩池と往来しなくなれば、この南瞻部洲は何も作物も育たない荒地となり、人間世界は飢餓に陥るということは般若経にも説かれている。無熱悩池龍王の家来である竜たちが、世界中の水の通り道を通っていくことで、八功徳水の栄養分は、我々の住んでいるこの世界にはもたらされ、地上に恵みを与えている。インド・チベットの仏教では、基本的には植物には生命もないし、植物には精神がないと考えるが、植物にある葉脈や茎や根などを走る水分の通り道は、竜の通り道でもあるので、森林を伐採したり、植物を不用意に抜いたりすると、竜の通り道を塞いでしまうので、竜の怒りを買うこととなり、人間界が飢饉になったり、地震や洪水などの自然災害が引き起こされると考えられている。たとえば今回のような新型コロナウイルスは、竜と関係する疫病であり、先日ダライ・ラマ法王が許可を授けてくださった、獅子吼観音菩薩もまたその根本怛特羅によれば、釈尊が竜たちが起こって地上に疫病を流行させたのをなだめるために、化身された観音菩薩であるとされている。

龍は賢い動物であるので説法を聞いたり、諸仏に供養したりするが、あくまでも畜生であるので、気に入らないことがあった場合に凶暴化することも多々あり、また気に入ることがあったら、通常起こり得ないような財宝を人々にもたらし得たりする生き物であると言われている。このようなこともあるので、基本的に僧侶は農業などをしてはいけないし、チベットでは、コンポ地方にあった森林なども伐採されることをしないようにしてきたとのことである。日本式の庭園には、庭園のなかに池があったり滝があったりするが、それは龍を喜ばすひとつの方法であるので、家にプールや池や滝がある家は繁栄し、金持ちになると言われている。しかしそれらは清潔に保つ必要があり、時々龍を喜ばすために龍の供養の儀式などをした方がよいとも言われている。

ケンスル・リンポチェが以前おっしゃっていたが、家に池があったり、プールを作ったりして、そこを綺麗にしておくと、もともとも金持ちな人がもっと金持ちになる、とのことである。家に立派な池があり錦鯉がいたり、西洋でも巨大なプールがあって芝生に常に水を巻いている場所は、龍が喜ぶのでますますその家に住んでいる人たちは金持ちになるそうである。

しかし龍は基本的には善行を好むので、いくら家に立派な滝があっても、悪い事ばかりしていると龍が怒ってその家を滅亡へ導いていったりするとのことである。ウォッシュレットがあることは金運を開くのに役立つかどうかは微妙であるようだが、トイレを清潔に保ち、水回りを綺麗にしている日本が経済大国になったのは、おそらくは龍のおかげであろう、とおっしゃっていた。

このように財産や金運などのすべては無熱悩池からやってくる龍たちのおかげのようであるが、これはあくまでも世間的な恩恵に過ぎない。世間・出世間の功徳のそのすべてはこの竜のように師を源としているのであり、善知識に師事することは、竜を供養するよりも遥かに私たちに無限の恩恵をもたらしてくれる。仏教徒である限り、仏法僧を供養すべきなのであって、竜や世間の神々を供養して、それらに帰依してはいけない。師資相承を供養するということは、世間・出世間の両方の功徳を享受するために必須のことである、ということを本偈は教えている。

龍たちは説法や問答を聞くのが好きな動物である

本記事は現在世界的に拡大している新型コロナウイルス感染症の早期終結を祈願し、毎日1偈チベットの箴言を翻訳して連載して、配信しているものです。


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