2020.06.11
ལེགས་པར་བཤད་པའི་ཆུའི་བསྟན་བཅོས་ལུགས་གཉིས་རླབས་ཕྲེང་བརྒྱ་ལྡན་

どんな時にでも、釈尊が説かれた業報思想と仏法僧を忘れずに在るならば、どんな世間の活動なども大したことではない

『水の教え・波打つ数の二つの教え』を読む・第80回
訳・文:野村正次郎

どんな時でも常に業果と三宝を

意識し続けれるならすべては成る

神々のなかの王が雨を降らすなら

得られる収穫も円満となるように

80

『水の教え・波打つ二つの教え』という一三九偈弱よりなる本詩篇は、これまで見てきたように、現世利益をも、品のある高潔な活動とはどうあるべきか、という世間の所行と、来世以降の宗教的所業とはどうあるべきか、という出世間の所行との両方を説いているものであるが、本偈で世間の所行の部分を要約する。次の偈からは、出世間の所行が説かれていると見做すことができるので、本偈が前半の最後の偈となる。

本偈では、いつ如何なる時、どのような種類のことであろうとも、仏教思想の本質である業報思想と、その教えを説いた諸仏たち、そしてこの教えが最終的に目標とする滅諦・道諦という煩悩と業が止滅した涅槃寂静の境地、そしてそれを実現するために私たちを助けてくれる聖者たちの僧伽という仏法僧の三宝を信頼し、それを心の拠り所とし、それを常に意識し続けているのならば、どんな所行であろうとすべては実現するということを説いている。そのことは神々の王である帝釈天が雨を降らせれば、最高の完全なる収穫を得ることができるのであり、その家来や世間の神々をあてにする必要がない、ということをこのことの譬喩として挙げているのである。

心は貧しく、意思薄弱な私たちは、自分たちの周囲に大きな変化や大きな災害がある場合、そのことを素直に受け止めることをせず、何か特別な出来事が起こっており、何か特別な対策が講じられなければならない、そしてそのためには何か特別な知識が必要であるというような錯覚を持つ傾向にある。

これは現実の厳しさを認知しようとすることへの拒絶反応の一種であるということができる。新型コロナウイルスが蔓延して、確かに多くの人々の生命が奪われたり、普通に暮らしていただけなのに、突然新型肺炎に感染して亡くなってしまった。これまで信頼していた現代の医療でもすぐに治療法が分からない、未知の症状が見られ、これまで常にあてにしていた大都市での恵まれた生活が思い通りには営めなくなった。政府が国民のために急遽マスクを配布する、というこれまで決して行われたことのなかった、実にわかりやすい善行と福祉サービスを提供してくれることとなっても、その行為を純粋に喜びとすることもせず、不平不満を述べ、マスクがなかなか届かないことを糾弾したりする。新型ウイルスと言われているものは、単にこの数年間のなかでの「新型」に過ぎないものであり、今後、感染したら数秒で死亡してしまう更なる新型ウイルスが登場する可能性については、ひとびとは現在のところ考えていない。

今日よりも更なる悲劇が起こりうる可能性は実は100%である。何故ならば私たちは無始以来の無限の過去から様々な悪業を積集してきたからであり、このことについてどうしたよいのか、それは幸いにも諸仏たちによって説かれている。

しかるに現実を客観的に受け入れて、これまで通り、今後諸仏たちの示してくれた道を歩むだけで、すべてのことは自ずから成就していくのである。現世のこと、私たちの目の前にある悲劇、それらは我々の眼を曇らせてしまう。しかしそのような一瞬の陰りに一喜一憂することなく、我々は常に最も輝度の高く、最も信頼性のある、最も勝れた叡智をもたらしてくれる諸仏たちの光明の存在を忘れてはならない。本偈はこのことによって世間の所行に対峙する際に私たちが指針とするものは、業果と三宝に尽きるということを説いているのである。

本偈の説いていることは、有名なパンチェン・ロサンチューキゲルツェンの次のような言葉に如実に表れている。

あなたが師である
あなたが本尊である
あなたが空行母である
あなたが護法尊である
これより後に菩提に至るまであなた以外の救いを私は探そうとはしませんので、今生において、そして死後の中有において、そして無限の来世にいたるまで、慈悲の鉤でどうか私を摂取し給え

パンチェン・ロサンチューゲン『師供養』

ダライ・ラマ法王もおっしゃるように常に私たち仏教に関わるすべての者にとって、釈尊こそが我々の最高の教師であり、最高の智慧である般若波羅蜜を教えてくれる者であり、最高の救済である、ということを私たちは忘れるべきではない。そしてそのことを常に心にし、他の神々や世間的な陳腐な知性をあてにすべきではないのである。

先日ダライ・ラマ法王が伝授してくださった獅子吼観音菩薩はかつて釈尊が疫病から人々を救うために化身したものである。

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