2020.06.05
ལེགས་པར་བཤད་པའི་ཆུའི་བསྟན་བཅོས་ལུགས་གཉིས་རླབས་ཕྲེང་བརྒྱ་ལྡན་

切り拓かれた道統を追うことは安易である

『水の教え・波打つ数の二つの教え』を読む・第74回
訳・文:野村正次郎

善行の伝統を切り拓く者が賢者である

彼の後を追うことは容易いものとなる

駿馬が泳ぎ渡れることを示した道ならば

それに続く犬も渡ることができるだろう

74

本日はチベット暦四月十五日、サカダワの満月の日である。釈尊がブッダガヤにて現等覚し、また涅槃の相を示された日である。釈尊がインドで説かれた偉大なる仏教の伝統は、いまも私たちの身近にある。

本日はダライ・ラマ法王がその本質である、一切衆生の利益のために一切相智を求める菩提心を起こす儀式をインターネットで先ほど配信された。私たちが何か迷うとき、道を失うとき、そこに道を既に示してくれているのが釈尊である。その教えは一切の生きとしいけるものに対する無限の慈悲と無我を現観し、すべてのものが依存関係にあるという縁起の教えにほかならない。チベットの仏教徒たちは、本日は仕事をせず、広大に供養を行っているが、本日はダライ・ラマ法王は、この釈尊を追念する日を今後毎年菩提心を起こす日にしようと提案がなされた。

本偈では、駿馬がその河は泳いで渡れるかどうかを先に示してくれたような河の渡りかたに従うのならば、犬でもその道を辿ってその川を泳いで渡ることができる、と喩えている。駿馬は仏を表しており、犬は私たち仏弟子のことであろう。私たちはどのようにあるべきなのか、その問いに対する答えは、すべて既に説かれた。

釈尊は涅槃の時に「私はすでに君たちに解脱への道を示した。それを実践するのかどうかはあなたたち次第である」と説かれたといわれている。2500年間つづいているこの仏教は、今後もきっと多くの人々や生物にとって、不死の良薬である甘露のようなものである。たとえ今生で死が私たちを分とうとも、私たちは最終的に仏の境地にいたるまで、ひとつの川のひとつの道を歩んでいくのであろう。

本記事は現在世界的に拡大している新型コロナウイルス感染症の早期終結を祈願し、毎日1偈チベットの箴言を翻訳して連載して、配信しているものです。


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