2020.05.29
ལེགས་པར་བཤད་པའི་ཆུའི་བསྟན་བཅོས་ལུགས་གཉིས་རླབས་ཕྲེང་བརྒྱ་ལྡན་

人間である限り、犬よりは賢くあるべきである

『水の教え・波打つ数の二つの教え』を読む・第67回
訳・文:野村正次郎

知性に乏しい人間は

富を得ても使途を知らない

犬はどんなに喉が渇こうと

川を吸い込まず舐めて飲む

67

善悪の分別もできない知性のない人間は、どんなに物質的享受をしていても、その使い道を知らない。彼らは貧しい人に施しをしたり、僧集を供養したりすることはない。自分の威光を示すために、大きな墓をつくってみたり、銅像をつくってみたりする。普通に飛行機に乗ればいいのに、自家用ジェットが欲しくなったりする。宇宙のなかで最も美しい星と呼ばれている地球に住んでいるにも関わらず、宇宙旅行に行こうとしたりする。

実に馬鹿ばかしい生活を送っている人たちは結構この世のなかにたくさん居る。そしてそれを狙った商売もたくさんある。夜中の街に野良猫が大きな声をあげて縄張り争いをしているよりもはるかに醜い応酬を彼らは繰り広げている。彼らは自分たちが愚かであるとは思っていない。むしろその逆であり、自分たちは特別な存在であると考えている。その武勇伝を取り上げるメディアもあるし、そのようなことを煽っている人々も多くいる。しかしこうしたことは、犬が喉が渇いた時に川で息を吸って水を飲み込めばいいのに、舌でちょろちょろ舐めるしかないように実に哀れである、ということを本偈では説いている。

デプン・ゴマン学堂の周辺には野良犬が沢山いる。僧院では野良犬に餌をあげているので、食事の時間になると彼らはきちんと僧房の近くに来て、残飯が支給されるのをきちんと待っている。これに対してチベットから亡命してきた僧侶のなかには、きちんと仏典を暗記しなかったり、仏法をきちんと学ばない学生もいる。そのような学生たちに昔ゲン・ロサンがよく「犬でもご飯を食べるし、命令をするとボールを持ってくる。お前たちは僧院に来て仏典を暗記したり問答しないで食事だけを食べにきているのなら、犬と変わらない。しっかり勉強しろ」とよく怒られていたことを思い出す。犬というのは人間にもっとも親しい動物である。すくなくとも私たち人間は犬よりは賢くありたいものである。


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