2020.05.28
ལེགས་པར་བཤད་པའི་ཆུའི་བསྟན་བཅོས་ལུགས་གཉིས་རླབས་ཕྲེང་བརྒྱ་ལྡན་

釈尊が仏教を説いたようなことが起こるのは、極めて希少な現象なのである

『水の教え・波打つ数の二つの教え』を読む・第66回
訳・文:野村正次郎

百人の中から勇者は現れる

千人の中から賢者は現れる

無熱悩池からは黄金水が

大海からは宝石が現れる

66

勇者や英雄と呼ばれる者が現れるのは100人にひとりであり、賢者はそれよりも少なく1,000人にひとりくらいの貴重な存在であるという。黄金を含んだ川はマナサロワール湖から流れてくるが、宝石を生み出しているのは大海であると喩えている。ここでは100人や1,000人というのはあくまでも例であげた数字であろうが、現実的なことをかんがてみるとよい。

たとえば私たちの100人の集団のなかには、ひとりくらいは他者のために利他的な行動を行うことのできるものがいるかも知れない。しかしそれだけでは賢者とは言えない。賢者とは利他的な行動を行うことができて、さらに集団を正しい方向へと導いていかなくてはならないものである。その活動は、いわゆる英雄としての活動よりも、難しいものである。

母集団が大きくなるに比例して、その特別な人物であることの希少価値や活動の難しさは増すのだろう。小さな集団の長になることより、地域社会の責任者になることの方が難しい。さらには国家単位での指導者になることはもっと難しい。そしてさらにそれよりも菩薩になることや仏になることはもっと難しいことである。

ダライ・ラマ法王が毎年日本にいらっしゃっていた時には、法話会には近隣諸国から数百人単位で参加者がいたものである。そのため法話はさまざまな言語に同時通訳されたり、会場はまさに人種のるつぼと言えるような状態であったが、いまの日本で仏教僧で同じくらい人々が世界中から集まるような傑僧はいない。29日・30日はダライ・ラマ法王がインターネットを通じて伝授会があり、日本語にも同時通訳される予定である。チベット語でもあるのはもちろんであるが、英語やフランス語や中国語など様々な言語で通訳が行われ、世界中の仏教徒たちがこれを鑑賞するのだろう。この現象は大変貴重であり、我々はすべてが歴史の目撃者となることができる。

地球上には七十億人もの人がいるが、我々ひとりひとりはたったひとりであり、我々ひとりひとりが極めて貴重な存在である。愚か者として暮らすのか、賢者として暮らすのか、それは個人の選択の問題であり自由である。しかし、我々は既に多くの人類のなかのひとりの個として選択されていることもまた事実であろう。歴史的に見てもこの世界で釈尊が仏教を説いたようなことが起こるのは、極めて希少な現象なのである。

本記事は現在世界的に拡大している新型コロナウイルス感染症の早期終結を祈願し、毎日1偈チベットの箴言を翻訳して連載して、配信しているものです。


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