2020.05.27
ལེགས་པར་བཤད་པའི་ཆུའི་བསྟན་བཅོས་ལུགས་གཉིས་རླབས་ཕྲེང་བརྒྱ་ལྡན་

貧しい賢者は静寂を求め、富める愚者は喧騒を求める

『水の教え・波打つ数の二つの教え』を読む・第65回
訳・文:野村正次郎

賢者の大半は貧しくなるだろう

愚かな者こそが財宝に富むだろう

濁って汚れた川の方が

蛙や蝌蚪や虫がより多い

65

賢者は、欲界で享受する物質的なものには背を向け、仏法と衆生のために役立つ活動をしているものである。だからこそ貪瞋痴の三毒の煩悩の発生源となる物質的な享受は禍いであり、それを追い求めることはしない。純粋に衆生を利益する利他の活動に励んでいる。だからこそ、賢者の大半は財宝に囲まれることはなく、貧しくなるのである。

愚かなものはこの賢者のあり方とは逆のことをやるので、物質的に繁栄し富や財産を築くことができるかも知れないが、物質的な繁栄は、有漏の善業の結果として得られるものであるので、あくまでも欲望のひしめく群衆のなかで生きていくしかない。このことを濁って汚れた川の方が雑多な生物がよい多く住んでいる、ということで喩えている。

物質的な繁栄というものは、有漏の善業の結果として得られるものであるので、経済状況をよくするためには他者に役にたつという善業を積むしかない。他者にもたらす利益を最大化することが自らの利益を最大化することである、というのは経済の原則でもあるが、それはあくまでも有漏の業であるので、有漏の楽受しか生み出さない。つまり相対的な享受しか生み出さない、ということである。賢者はそのようなものを求めず解脱や一切智といった無漏の法を目指しているので、有漏の楽受を生み出すための活動を優先することはない。だからこそ、物質的価値観や有漏の楽受によって貧富を判断する世界においては、さほど成功することはないのである。

チベット亡命政府の教科書では、愚かで貧しいということと、賢者が貧しいということは絶対的に違うので、賢者がいくら貧しい生活をしていたからといって、それを低評価するべきではない、ということを本偈から学びなさい、と教えている。

本偈では愚者は様々な生物が密集した場所を好み、賢者は密集していない場所を好んで住んでいるという。透明で清らかな氷が溶けてすぐの水流は透明であるが、そこは孤独で住みにくいかも知れない。しかし寂静処に棲むという求道者のあり方は、そのようなところを活動の場所として選択するのかも知れない。

雪解けの清らかな水流にはいろいろな生物がごちゃごちゃ住んでいるわけではない

本記事は現在世界的に拡大している新型コロナウイルス感染症の早期終結を祈願し、毎日1偈チベットの箴言を翻訳して連載して、配信しているものです。


RELATED POSTS