2020.05.24
ལེགས་པར་བཤད་པའི་ཆུའི་བསྟན་བཅོས་ལུགས་གཉིས་རླབས་ཕྲེང་བརྒྱ་ལྡན་

煩悩を制圧するためには、巧妙沈着な戦略が必要となる

『水の教え・波打つ数の二つの教え』を読む・第60回
訳・文:野村正次郎

たとえ敵を降伏させんとする時も

ゆっくりと穏やかに振舞うべきである

静かに潜んで動いていく者が

魚たちを捕まえるのを見るとよい

60

チベット仏教は大変理知的で、日本の仏教に比べれば教義も大変複雑である。チベットの僧侶の方々から教えていただく仏教の教義は、理解するのも大変難しく、日本のような自然崇拝傾向の強い文化で育った我々はそういう印象を抱くものである。

しかしよくよく話を伺ってみると彼らは動物の生態系や自然現象を非常によく観察していて、その方面の知識も特に学校教育を受けたりしなくても、必要最低限なことに熟知している。それは日本人よりも自然が身近であるということが理由となっていると思われる。

本偈のように魚を捕らえる他の生物がどうやって魚に近づいていくのか、ということについても至極当たり前の日常のなかで学んでいくことなのであろう。

チベット人は日本の大体七倍くらいの広さの土地に日本の人口の18分の1くらいの人口しかいないので、実際の人口密度は日本の1%弱ということになる。つまり日本はチベットに比べて100倍くらい人口密度が高い、ということになる。これは私たちの周異にいる人と人との距離が大体平均すると100倍くらいある、ということである。

もちろん広大なチベット高原には人が住めない場所もたくさんあるし、それぞれの集落は密集しているが、日本のような密集度ではない。しかるに必然的に自然の現象や動物の生態系についても詳しくなるのであろう。

チベットの人たちから見た日本はまずは「ツァンマ」(清潔)である。彼らから見たら日本のような人口の超密集地帯でこの「清潔」な状態を保てるのが驚異的である、とのことである。インドやチベットでは人口が密集している場所では必然的にゴミが多くなり、生活空間であるからこそ、不潔な場所も多くなるのが必然なのである。

中国共産党が率いる人民解放軍がチベットを占領しはじめたのは1951年の全人代にはじまる。そこから1959年にかけて「自治のための解放」という名目でどんどん占領してきた。チベットの人たちは国土がもともと広いので、多少漢民族が移住してくることにはそこまで不満はない。そもそも土地が余っているので、多少融通してもいいわけである。しかし自分たちの名前も自分たちの文字で書けなかったり、自分たちの宗教活動もほかの民族にお伺いを立てなかったらいけない状態は自治とは言えない。

「中国はゆっくりとチベットを食べるためにやってきた。そして私たちはもう食べられてしまった。」

これがチベットの人たちがよく使う現状を表す彼らの表現である。香港や台湾のように地域が狭い場所でも、現在中国政府の一国二制度は完全に希望を失いつつあり、チベットのように広大な場所で、彼らが求める本来の自治を実現することは今後大変難しい状況にある。

本偈ではここで魚を捕らえるものとして挙げられているのは、鳥のことであろうが、海中のうつぼなどもまた同じように静かにじっとしていて一瞬で他の魚を捕まえてしまう。彼らは決して「私は敵ですよ」ということを知らしめるようなジタバタした振る舞いをしていないことを喩えとして用いている。

本偈は悪いことを推奨するものではないので、ここで敵を降伏させる、というのは煩悩を克服する、ということである。煩悩を克服するために、煩悩を増大させてはならず、静かに心を落ち着かせ、まるで狩をする動物がほかの動物を狩るように巧妙沈着に実行する必要がある。


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