2020.05.21
ལེགས་པར་བཤད་པའི་ཆུའི་བསྟན་བཅོས་ལུགས་གཉིས་རླབས་ཕྲེང་བརྒྱ་ལྡན་

海の水は果てしなくあるが、私たちの存在には限りがある

『水の教え・波打つ数の二つの教え』を読む・第57回
訳・文:野村正次郎

どんなに広く権威が及ぶとも

得られる福徳には限度がある

海を自分の池に注いでも

限度を超えると溢れ出す

57

私たちは無限の過去から様々な業を積んでいるので、その業がある時期に結果を生み出すための総体となって、様々な結果を享受することができている。しかしある時期に生じている業の結果は、これまで積んできたすべての業が結果として現れるわけではない。

どのような業の結果がどのような時期に果実をもたらしてくれるのか、というこのことも業の結果として決まっているわけである。しかるにたとえどんなに権力をもち、様々なことが支配下にあり、自分の意向通りに周囲を動かすことができたとしても、その時に得られる成果というものが無限大になる訳ではない。本偈では、このことを自分の池に海の水がすべては入りきらず、外に溢れてしまう、と喩えている。

地球上の97%以上が海水であり、残りの淡水のうちの約7割が北極・南極にある氷であると言われる。そしてその次に多いのがチベットにある氷の山である。チベットにある氷の山は世界人口の3分の2にあたる人口を支えているというが、世界の水源であるチベットの現状は、決して誰にとっても理想的なものではないと思われる。今回の感染症の問題のように人々の移動を減らすことによって、ある程度予防することができる問題は、この水の問題に比べると非常に小さな問題であろう。日本よりもはるかに前からロックダウンをして、外出禁止を徹底させてきたインドでは、もう12万人もの感染者が報告されている。インドははやくから日本に対して入国拒否を行なってきたが、いまは日本がインドからの入国を完全に拒否している状態となっているので、たとえお釈迦さまであろうとも、いまは日本に説法をしに来て頂くことはできない状態になっている。

このように私たちが現在享受できることには限りがある。その限りのある現在を最大限活用し、今後もよりよき未来を享受しようと思うのならば、いまこの現在において私たちは善業を積むことに邁進するしかない。今回の感染症の問題は、これまで我々が普段はあまり意識してこなかったこういった事態を思い直すのに大変いい機会であろう。少なくとも私たちはいま将来再びまたゴマン学堂からやってきてくださるゲシェーたちの先生から教えを吸収するための心の準備をしておくことができる。釈尊は「私はあなたたちに解脱への道を示しておいた。それを実践するかどうかはあなたたち次第である」とおっしゃったと言われているが、私たちのこれからは、私たち次第なのであろう。

本記事は現在世界的に拡大している新型コロナウイルス感染症の早期終結を祈願し、毎日1偈チベットの箴言を翻訳して連載して、配信しているものです。


RELATED POSTS