2020.05.20
ལེགས་པར་བཤད་པའི་ཆུའི་བསྟན་བཅོས་ལུགས་གཉིས་རླབས་ཕྲེང་བརྒྱ་ལྡན་

楽しく海で泳ぐためには、まずは泳ぐ練習をした方が無難である

『水の教え・波打つ数の二つの教え』を読む・第56回
訳・文:野村正次郎

財宝もない人々が宝飾や美食をもとめてる

聖典を学びもせず学者の任務についている

泳ぐこともできない人は海で泳ごうとして

分かりきってるのに自らを溺れさせている

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博物館や美術館に行くと古代の王族たちの大変な財宝を見学することができる。現代のように物流が発達していない時代にも関わらず、王家の人々は様々な財宝を世界中から集めてきたことを実際に目にすると驚嘆するものである。

今日それと同程度の苦労をして財宝を収集すれば、いったいどのくらいの費用がかかるのか、それを少し想像してみるだけでも、大変な金額になる。現代に生きている私たちは、数百年前だったら王侯貴族しか享受できない、貴重品に囲まれ、贅を尽くした食事をしていることは確かであろう。

かつての封建社会においては権力者のもっていた権力は極めて絶大である。しかし私たちはそんな時代に生きている訳ではないのであるから、そのような権力を誇示しようとして阿呆のようなことに時間を浪費すべきではない。無駄な努力は、時間と労力を浪費し、自らを破滅へ向かわせてしまう、本偈ではこれを説いている。

財宝をもっていない者は、金銀の宝飾品で飾りたて、毎日より美味なものを食べる王侯貴族のような贅沢をしようとする。そのうちに貯蓄は使い果たして贅沢ができなくなってしまう。仏典をきちんと学んでもいないうちに、大それた説法や講義をしようとしたりして、話す内容に苦心する。

これらは泳ぐこともできないのに、海で泳ごうとして溺れてしまうのと同様に、準備不足や分不相応なことをやって自滅することを表している。分不相応なことをして自滅するのは、喜劇としては面白い人生かも知れないが、やはり私たちはそんなことはしないで、普通に暮らして行った方がいいと思われる。少なくとも楽しく海で泳ぐためには、まずは練習が必要なのである。

本記事は現在世界的に拡大している新型コロナウイルス感染症の早期終結を祈願し、毎日1偈チベットの箴言を翻訳して連載して、配信しているものです。


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