2020.05.08
ལེགས་པར་བཤད་པའི་ཆུའི་བསྟན་བཅོས་ལུགས་གཉིས་རླབས་ཕྲེང་བརྒྱ་ལྡན་

灰色にたちこめる気嵐から川を知る

『水の教え・波打つ数の二つの教え』を読む・第44回
訳・文:野村正次郎

生物の心の内の功徳や過失は

外側に表れた所作から推察できる

灰色にたちこめる気嵐から川を知り

煙によって火があると判るように

44

他人の心のなかを覗いてみることはできないが、他人の心のなかに良い性質があたり、悪い性質があることは、それが行動として表れていることを見るとある程度は推測できる。気嵐が立ち込めていれば、そこには川があることが分かり、峠の上に見えている煙から火を推測できるのと同じであるという。つまり結果の存在から、原因の存在を推理するのと同じであるという。

気嵐は、川霧や蒸発霧とも呼ばれ、暖かい水面上に冷たい空気が入り、水面から蒸発がおき、その水蒸気が冷たい空気に冷やされて発生する湯気のようなもののことである。日本だと一般には、気温と表面水温との差が6℃以上になると、空気中の水蒸気は凝結して霧になるといわれている。

仏教において業とは思であると言われており、業を積むというのは実際に何かの行動・言動をする時の心理の継続状態がその行動や言動を実行させているので、その心理状態を自ら行っている、と考えるのである。その心理状態を継続させることを許しているのは、他者ではなく、自分であるので「自業自得」ということになる。

この原理があるからこそ、たとえば他者に依頼して、殺生や偸盗を行わせる場合についても、その依頼主は、その悪業を積むということになる。その悪業が完成するまでの間、依頼主にはその業を行う心理状態に準ずる状態が継続しているからである。だからこそ他者に依頼して、他の生物を殺させる、もしくは何かを盗ませる、という活動もまた自分が殺生や偸盗の悪業を積むことと同じことになるのである。

逆に他者に依頼して生物を殺さないようにする場合には、不殺生の善業を積むことになるが、たとえば魚市場にいって鮮魚を買い上げて、海に逃してもらうことも、不殺生の業を積む、ということになるのである。しかるに心のなかにどのような心理状態が続いているのか、ということは、結果的にその人の行動や言動に表れるものである、ということができるのであり、その結果を見ることで、心のなかの功徳や過失を推測することができる、と本偈では説いている。

このように心理状態が外面に表出する業のことを「表業」と呼ぶ。これに対して、心理状態が外面に表出しない業のことを「無表業」と呼ぶ。たとえばもともと殺生しようという動機がなくて殺生をしない場合には、「不殺生」という善業を積極的に積むのではなく、「殺生をすまい」という律儀によって動機付けをした上で、「不殺生」という善業を積極的に積む、ということになるのである。外側の行為は「不殺生」という同一の状態であっても、その時の心理状態が「他のことを考えている」もしくは「殺生をすまい」と考えているのか、ということによってその「不殺生」の行動は、積極的な善業になるかどうかが決まるわけである。

今日の状況と合わせて考えてみれば、国家や社会的な要請によって感染拡大防止のために外出自粛をしているのと、他者の生命を脅かすことがないように、そのために感染媒体になるべきではないために、外出自粛をしているのとはその行動に関する積極性に差がでてくる。仏教を実践するということは、心にその教えで説かれていることを実現することである。しかるに国家や社会の施策や風潮とは一切関わることのない、純然たる意思による行動や言動の制限を制限をしなくてはならない。もしもそれを実現できるのならば、逆縁を順縁とする、ということが可能となるのであろう。

本記事は現在世界的に拡大している新型コロナウイルス感染症の早期終結を祈願し、毎日1偈チベットの箴言を翻訳して連載して、配信しているものです。


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