2020.05.04
ལེགས་པར་བཤད་པའི་ཆུའི་བསྟན་བཅོས་ལུགས་གཉིས་རླབས་ཕྲེང་བརྒྱ་ལྡན་

荒ぶれ者に批判される者にならないために

『水の教え・波打つ数の二つの教え』を読む・第40回
訳・文:野村正次郎

荒ぶれ者にすら批判される者を

賢者たちが信頼することはない

水面の月に惑わされた雁は

昼でも蓮根を食べようとしない

40

素行が不良な人たちにも批判されるような素行の悪い者がいる。たとえば暴力団の幹部たちからみた街のチンピラやポン引きなどがそうであろう。そのような程度の低い人間は、あまり素行が良くない人たちからも見下しているのであるから、賢者が信頼することはない、ということを説いている。その例として挙げられているのは雁たちは、夜間に水面に映っている月を見て恐れているので、白昼に白い蓮根が水面から見えていても食べようとしない、ということを譬喩として挙げている。

この喩えもまた、インドの古い神話などからきているようであるが、ナーガールジュナ作と呼ばれる『修身論・智慧の樹』(Nītiśāstraprajñādaṇḍa, TD4329)によれば、ある時、濁っていない水面に月や星が映っているのを見て、蓮根であると勘違いして食べようとした雁がいた。その時に「君たちのように乳と水を分けることができる知性は今日はどこにいったんですか」と間違いを指摘されて批判されたので、それ以来、その雁は、夜が明けて昼間になろうとも、二度と雁たちは蓮根を食べようとしない、という逸話が記されている。

通常、真雁や白鳥の食性は植物食で、草の葉、茎、地下茎、種子、果実等を食べるし、真雁や白鳥などが蓮根を掘る様子は日本でも見られる光景のようであるが、この例は通常は蓮根を食べるところであるが、蓮根を食べようとしない雁や白鳥もいるということを観察した結果、その理由として過去の業の習気を想定して考えられている逸話なのであろう。ただしここでハンサと呼ばれる雁は全体的に蓮根を食べないのかどうかについては、より詳しい調査が必要となるが、残念なことに、鳥類の生態系をもう少し詳しく調べてみて、さらにインドの神話などの用例をもう少し詳しく調べてみる必要がある。すぐには分からないので、いまのところはそのような問題があるということを指摘するだけに留めておこう。いづれにしてもチベットの学者たちはインドの伝統に基づく動物たちの生態系を表す逸話に通じているので、こういうひとつひとつの表現の背景にも様々な逸話があり、なかなか厄介である。

譬喩表現の場合には、譬喩表現の対象が重要であり、また仏教では言葉に依らず意味に依れ、と言われているので、この偈についてもう少し考えてみれば、本詩篇では常に世間的な品のある高潔な行いをする人、世間的にも品のない程度の低い行いをしている人、そして出世間的な諸仏たちの菩薩行というものが説かれているものであるので、賢者を菩薩とし、荒ぶれ者は世間の者として、世間で批判される者というのは世間でも程度の低い者たちのことであると理解すると理解しやすいだろう。そう考えると世間的な道徳倫理にも反することは、出世間的な道徳倫理を身に付けようとする人間は決して信頼してはいけない、という趣旨であることが分かる。

菩薩行には自己の精神を成熟させるための六波羅蜜と他者の精神を成熟させるための四摂事とがあるが、その四摂事のうちの「同事」というのがあり、これは自利・利他のために行うべきことは、他者だけではなく自分も同じように行わなければならない、ということを説いているものである。本偈が示唆するのは、我々は賢者に批判されるようなことだけではなく、世間的に批判されているようなことを慎むよう、自ら実践していかなければならない、ということを説いているのであろう。


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