2020.04.30
ལེགས་པར་བཤད་པའི་ཆུའི་བསྟན་བཅོས་ལུགས་གཉིས་རླབས་ཕྲེང་བརྒྱ་ལྡན་

取扱要注意の気難しい人との付き合い方

『水の教え・波打つ数の二つの教え』を読む・第36回
訳・文:野村正次郎

下劣な者を重用しようとも

恩義も知らずに憤りさえする

どんなに冷たい水をかけるとも

生石灰は反応し発熱するだけである

36

品格で高潔で礼儀正しい人に対して、敬意をもってきちんと接することは自らの品位を高めてくれるし、良い効果が期待できるのは当たり前である。しかしながら常に殺生をしたり、盗みを働いたり、他人を騙しているなど下品で素行不良な者に対してどんなに愛情を注いで重用しても、彼らが恩義を知り、感謝し、恩返ししてくれるようなことを期待すべきではない。

カリウム、カルシウム、ナトリウムなどを含んだ天然の鉱物は、常温の水と激しく反応し、水分を吸収し発熱する。生石灰は酸化カルシウムでできているので、水を加えると化学反応を起こし、水酸化カルシウムとなる時に発熱するばかりである。このような鉱物は、乾燥剤や発熱剤として使われることがあるが、常温の水と反応するので取り扱いには注意しなくてはならない。これらの鉱物と同じように、品行方正ではない人たちとの関係や取り扱いには注意が必要であり、彼らと上手に付き合うことによって、双方にとって利益が生まれるものなのである。

最近ダライ・ラマ法王がよく仰っているが、物乞いや盗賊や悪魔などに対して接する時や施しをする時には、神仏や目上の者に対して供物を献上する時よりも、はるかに深い慈悲心や相手に対する敬意が必要となる。何故ならば、そういった境涯にある者たちは煩悩が非常に強く、自らの心で自らを制御できないからである。物乞いや盗賊は、悪業が強いことによってそのような人格を形成しているのであって、彼らに対して罵詈雑言を放つことや見下した態度によって施しをすることは良くない、と仰っているのである。煩悩に支配されている者たちは、限度を知らず求める者が多いのであり、煩悩に支配されているからこそ、人のやさしさや善意を正しく受け止めることができない。他人の行う善行に対して、それに感謝の念や歓喜の念をもつことができない場合に、嫉妬や憎悪によって時には怒り狂ったりすることすらあるのである。もともと良い人間や立派な人をより良くしたり、より立派にすることは非常に簡単であるが、悪い人間を悪くしなくしようとしたり、ダメな人間をダメでなくすることは非常に困難である。これは自分たちのことを考えるとわかりやすいが、自分たちの欠点を一番よく知っているのは自分たちであろう。しかしその欠点を他人から指摘されたり、過度に糾弾されると、過剰に反応してしまうこともよくあるのである。

本偈の喩えは非常に的を得たものであると思われる。生石灰にどんなに冷たい水をかけたとしても生石灰は発熱するばかりで、冷却することはできない。これと同じように煩悩に支配されている者に対しては、どんなに愛情を注いでも、何か見返りを期待することは非常に難しいのである。生石灰に冷たい水をかけて冷却できないからといって不平不満を言うべきではない。これと同じように煩悩に支配された者に何かをした時に、期待と違う反応をされたからといって不平不満をいっても仕方がない。むしろそのような不平不満を言おうとすること自体が、ものごとの本質を正しく理解しようしていないことの証左なのであろう。自分に対して危害や損害を与えてくれる者とは布施や忍辱の実践のための、素晴らしい機会なのである。

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