2020.04.20
ལེགས་པར་བཤད་པའི་ཆུའི་བསྟན་བཅོས་ལུགས་གཉིས་རླབས་ཕྲེང་བརྒྱ་ལྡན་

耳が薄い人とは仲良くなれない

『水の教え・波打つ数の二つの教え』を読む・第26回
訳・文:野村正次郎

流されやすい人は仲良くしようとも

すぐに不和になり離れていくだろう

水と乳はいくら一体に混ざっても

雁の嘴で分けることができるように

26

水と乳は親和性が高く、混ざり合って一体になりやすい。「水乳の如く和合している」という表現は古来仏典の表現のひとつとして親しまれている。本偈ではこの融和した状態から分離することができるということを譬喩としている。水と乳の混ざった状態から乳だけを分離して取り出すことがカモ科の鳥類には可能である。

『サキャ格言集』では、乳を絞ることは誰でもできるが、カモ科の鳥類だけがそれを分類できると雁を賢者の例に喩えているが、本偈では賢者ではなく、どんなに仲良くしている人たちですら不和になり、別離してしまうことがあり得るということの譬喩として使用しているので、若干譬喩の使用法は異なっているが、乳水を雁が分離可能であるという情報については共通しているものである。 `

カモ科の鳥類のくちばしには「板歯」と呼ばれる櫛歯状の構造ものがついており、それをフィルターとして濾過することで採食することができることに特徴がある。淡水ガモやガン類は主として草食であるので、落ちモミや大豆などの植物質のものを水から濾過して摂食し、同じように鯨の場合には、「鯨髭」と呼ばれる毛髪とは由来の異なる、皮膚が変化してできているフィルターを持っており、そこで水からプランクトンなどを濾過し摂食する。

本偈ではカモ科の鳥のくちばしが水と乳のように親和性の高いものでも分離することができるように、両舌はどんなに親しい間柄の者でもすぐに仲違いさせることができ、とくに人の意見に流されやすい人、噂話や一般通念に同調しやすい人と友好関係を持ち続けることが難しいということを説いている。

ここで「流されやすい人」と訳したものは原文では「耳が薄っぺらい人」という言葉で表現されている。「耳が薄っぺらい人」とは他人の話を検討することもなく、事実であると捉えるやすい人のことである。つまりは「人の話を鵜呑みにする人」ということであるが訳文としては二つの鳥類が出てくるのはあまり相応しくないので「流されやすい人」とすることとした。そういう人の問題点は、自らの知性で真偽や信憑性を検討することなく、自分が同調しやすい意見を無批判に採用する傾向にある。

現代の社会は情報が広く公開されている社会である。だからこそ様々な情報の中で何を選択して情報として採用するのか、というスキルが個人に必要になっている社会である。ただこの現代の情報社会の問題は、情報は質よりも数量によって計量されり、評価もまた個人が客観的に評価しようとするよりも、多数の意見が同調しているものを正しいもの、普及したものとして考えがちになってしまう。特に日本の社会のように日本語のみで様々な情報が完結しているという錯覚に陥る場合には、他者の思考や異質な情報は閉ざされてしまう傾向にある。これは仏教に関する情報について言えば、日本語での仏教に関する情報の全体は、チベット仏教が標準的としている情報とは明らかに質が異なっている。

ダライ・ラマ法王がよく我々は21世紀の仏教徒であるべきである、隋信行者ではなく、隋法行者であるべきである、と仰っている(参考はこちら)が、これは今日のような情報が広く公開され、ビッグデータをどう取り扱うのか、ということが極めて重要な世界において、極めて重要な姿勢であると思われてならない。

本記事は現在世界的に拡大している新型コロナウイルス感染症の早期終結を祈願し、毎日1偈チベットの箴言を翻訳して連載して、配信しているものです。


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