2020.04.17
ལེགས་པར་བཤད་པའི་ཆུའི་བསྟན་བཅོས་ལུགས་གཉིས་རླབས་ཕྲེང་བརྒྱ་ལྡན་

すべての衆生が無症状だが、致死率100%の感染症陽性患者である

『水の教え・波打つ数の二つの教え』を読む・第24回
訳・文:野村正次郎

重要で高位の者に仕えるのは栄誉である

しかし同時にそれ以上の危険の源でもある

大海というこの数えきれない宝石の源は

同時に巨大で恐ろしい猛獣の棲家でもある

24

本偈は現世利益のひとつである知名度・権力・高評価というものの危険性を説くものである。世間における知名度が上がり、社会的にも要職につき、更に高評価を受けるというのは大変な栄誉であるが、別の視点から見れば、それは大変な危険に晒されているということでもある、ということを説いている。

名声・特権・評価というものは、それを望んでいる多数のなかから限定された一部の者にだけ付与されるものである。現世において利益を享受するための要因は、過去世において為した有漏の善業にあるが、それによって得られる楽受は、変化する本質を有する「壊苦」でもある。特権や地位は、小さな煩悩の出現によって失われやすく、たとえ失われなくても、特権であるが故に、他人からは必要以上に嫉妬されたり、誹謗中傷の的となる。時には地位を脅かそうとする奸計で生命を奪われる危険性すらあるものである。本来そのようなものは結果的に苦痛しか生み出さないので、我々は求めるべきものではないにも関わらず、それを求める傾向にあるのは、そうしたものが価値を生み出して、その価値を交換することによって物質的な享受を増大させることができるからなのであろう。現在のSNSを活用したソーシャライトの活動もまさにこれと同じ現象であり、フォロワー数の数、有名人とのコラボレーション、いいねなどの数を物質化して、換金することさえ出来るが、同時にそれは注意深くしないと炎上という現象を起こしてしまうのである。

仏教は輪廻からの解脱を求める宗教であるので、現世での繁栄や来世以降での繁栄も両方には期待できるものは何一つないと考える宗教である。どんな人でも無始以来の無限の過去からの煩悩と業によって再生している限り、それは不自由であり、何かに束縛され、苦しみから決して逃れることができない。現世利益の期待を退け、来世以降での輪廻における繁栄にも期待することなく、強くこの輪廻からの解脱を求める心のことを「厭離心」「出離心」と呼ぶのである。輪廻そのものである五蘊はそれ自体が苦しみであり、この五蘊盛苦のことを「行苦」と呼び、通常我々が苦痛であるとも快楽であるとも感じていない不苦不楽の行苦を考えることこそが、仏教における苦観のもっとも重要なものである。パンチェン・ロサン・チューゲンは次のように説いている。

輪廻の過失の思考法には多くがある
苦苦を厭ってそこからの
解脱を求める思いは牧畜にもある
有漏の楽受を厭離したいという
思いは外道にも有るのである
しかるに行を自性とする
この取蘊が苦を今も今後ももたらすものである
この容れものが伝染病や難病や激痛の如くであると
このように考えて修習するのならば効果があるだろう

このように我々の全員が身体と精神をもって生まれてきている限りにおいて、全員が生存率ゼロ%で、致死率100%の恐ろしい感染症に無意識のうちに感染しているということになる。そしてその感染症に対抗できるワクチンは慈悲と無我を理解する智慧しかないということになる。地球上のすべての生物が無症状の感染者であるとしたら、我々はいったいどうにあるべきなのか。名声も地位も権力も何も役には立ちはしない。仏教はこのような前提を説いている宗教である。

本記事は現在世界的に拡大している新型コロナウイルス感染症の早期終結を祈願し、毎日1偈チベットの箴言を翻訳して連載して、配信しているものです。


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