2020.04.16
ལེགས་པར་བཤད་པའི་ཆུའི་བསྟན་བཅོས་ལུགས་གཉིས་རླབས་ཕྲེང་བརྒྱ་ལྡན་

如意宝珠のある海岸へ集うものたち

『水の教え・波打つ数の二つの教え』を読む・第23回
訳・文:野村正次郎

慈しみのある饒益し得る者

彼のもとにすべての人は集う

如意宝珠が有るその海辺へ

すべての衆生が押し寄せるように

23

チベットの伝記文献には、蜜蜂が集まるように求法の徒が増えてゆく、という表現がある。これは偉大なる僧侶が中心となって僧院が巨大化していく過程を表現するものであるが、今日のダライ・ラマ法王の周辺で起こってきた現象はまさにそれが具現化したものであるといえる。インド各地で行われるダライ・ラマ法王の説法会には世界中から求法の徒が集まり、時には数万人もの聴衆が何日にも渡って参加するような大規模な行事が行われてきた。

同様にチベットの僧院がインドに復興された後には、その僧院には、新規の僧侶たちを募集しなくても、徐々に僧侶の数が増えていく現象が起こっている。難民としてインドに亡命したデプン・ゴマン学堂の僧侶たちは、たったの六十名ほどであったが、1980年代に亡命チベット社会とチベット本土との交流が復興し、相互の家族の訪問が可能になってから、毎年多くの僧侶たちがインドに復興された亡命僧院へと押し寄せてきて約20年くらいで在籍数は1600名から1800名の僧侶が在籍する巨大な僧院となった。一度チベットから亡命してきてゴマン学堂に入る僧侶たちのなかには、伝統教育プログラムが厳しすぎて落第し、学究を諦めて故郷の地方寺院へと戻って行った者たちも多いが、それを考慮しても特に宣伝をしたり、学生募集をしているわけではないが、チベット仏教の僧院は徐々に人数が増えていることは確かである。

本山では20年以上もの学習過程を終えることが第一の目的であるが、その後も、本山に残って後進の指導をしたり、外国に行き交流をしたり、本山の寺務などをして本山の発展に貢献したりしている者たちも多い。

たとえば本年四月から本山の宗務総長になったゲシェー・チャンパ・トンドゥプ師の場合には、チベットのチャムドの近くの僧院から、その僧院のラマの化身の捜索隊の一員として、インドを訪問したが、ダライ・ラマ法王から化身の捜索は時期尚早なので、しばらくデプンに滞在して学問を行うようなアドバイスにしたがい、その後約二十年近くの学習を終え、ゲシェー・ラランパの試験に合格した後、ギュメー密教学堂での密教の基礎課程の学習を終えた。それと同時ににすぐに日本へと派遣されて日本で数年間過ごされたが、その後本山に戻られた後には、僧院の規則を司る維那に任命されたり、僧院での定期試験の運営委員などを勤められたりして、現在は本山で活躍されている。

ケンスル・リンポチェの後継者として私たちの日本での指導を担当して下さったゲン・ロサンの場合には、朝の七時から夜の八時くらいまでほぼひっきりなしに教学の指導を受ける学生が山のように押し寄せてきて、ゲン・ロサンはお昼休みに一時間くらいだけ昼食を取る以外、毎日朝から晩までずっと五大聖典の講義をされながら、同時にクンデリン・リンポチェには個人教授として指導をされていた。その後にダライ・ラマ法王にギュメー学堂の学堂長になるべく役職に任命され、その任にあたっておられたが、残念なことに夭折されることとなったのである。

これまで日本には、本山においても学識だけではなく、仁徳もあり、重要な人物ばから来て下さった。ある時寺務局からは「日本はいい人材ばっかり送ってきたし、そんないい人材が外国にずっといると私たちも困るんですよ。」と言われたこともあるが、チベット仏教の最高学府を代表する如意宝珠の如く尊い先生方がこれまで来られていたことは確かである。現在は人が集まり移動するのは慎む時期であるので、我々弟子たちは復習と実践に励むべき時期なのであろう。ダライ・ラマ法王からは本山からの先生たちが派遣されて日本人が仏教を学ぶ機会を維持する活動は少なくとも数百年は続くような活動にしなさい、という課題を頂戴している。

美しいサンゴ礁には様々な魚が集まってくる

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