悪しき王は食糧と財をすべて奪うとも
決して飽き足らず貪り続けるのだろう
馬口の焔は海水をどれだけ吸上げるとも
すべてを飲み干して常に燃え熾れるように
「馬口の焔」とは閻浮提の辺境海上にある火山群の焔のことのようである。これは「馬口山」もしくは「馬面山」と呼ばれ、牝馬の口や顔のような形をし、海の水を吸い込みながら燃え続けている火山であると謂われている。現在でいうと海底マグマが海上にまで隆起して出来ている海底マグマの山脈のものだろうか。マグマが隆起すると巨大な水が吸い込まれるように見えるが、常にあるものであるようなので。実際には水は蒸発させながら燃えているようなイメージなのだろう。
本偈では、悪しき権力者が課す租税としての食糧や財宝が海水に例えられている。悪しき権力者は馬口の焔に例えられている。これで十分であるというような小欲知足の精神はなく、どこまでも民衆を蹂躙し、民衆から略奪を行うような悪しき権力者は、決してその欲望を満たすことがなく、永遠と貪り続ける様が表現されている。
本詩篇はこれまでもそうであったが、水を中心とした情景を想像することによって、教義を理解させるものであるので、我々はここでは海水というものが尽きることなく、大量にあることを想像するとよいのであろう。強欲非情な権力者が民衆を圧政によって苦しめている様子がここでは警鐘を鳴らしているのである。
自己中心的で他者の権利を蹂躙する強欲な権力者たちが自ら破滅していく物語は、古今東西どこにでもある。私利私欲を肥やすために活動することが、どれだけの軋轢を生み出し、どれだけの害悪をもたらすのか、ということが歴史を紐解けば自明なのにも関わらず、人々は過去の物語であるとして、それらから何かを学ぼうとはしない。今日は王権政治ではないが、民主主義・資本主義社会においても、私利私欲のために、他者を蹂躙する人たちは後を立つことはない。
悪しき権力者は他者が豊かな生活を行っていることを妬み、他者の幸福を決してよいと思わない。常に他者との比較でしか、自らの価値を見出すことができない者は、つまるところ心の貧しい者であるということになるのだろう。心の貧しい者は、悪しき行動や言動、そして思考を繰り返し、不幸の原因ばかりを作っていく。ついには身内からの裏切りや反逆などにより、生命を落とし権力から失墜する。
