2020.04.12
ལེགས་པར་བཤད་པའི་ཆུའི་བསྟན་བཅོས་ལུགས་གཉིས་རླབས་ཕྲེང་བརྒྱ་ལྡན་

雲は海から運んだ水で雨を降らせ大地を潤していく

『水の教え・波打つ数の二つの教え』を読む・第19回
訳・文:野村正次郎

法を具えた王は税を課そうとも

それによって国家を護るだろう

大きな雲は海水を引き寄せて

徐々に雨を降らせ大地を護る

19

沈黙のなかで静かに雨が降る。樹々の間には霧がかかり、時には山の向こうまで大きな雲はつづいている。雨は大地の草葉に潤いをもたらし、時には光線を乱反射し不思議な現象を作り出す。樹々や草木を支えている地面は、彩度を増しながら潤いを吸収する。

悠久の時を動くかのように威厳さえある巨大な雲は、沈黙の雨を降らしている。大地の喧騒は打ち消され、しばし未来のための土壌をつくっている。この巨大でゆっくりと静かに形を変えている雲は、実はあの遠くの大海からやってきたものであり、私たちが運べないほどの大量の水を運んできてくれている。この雲は巨人のように気前がよく、どこかだけ雨を降らせて、どこかだけ雨を降らせない、といった意地悪はしない。人々の熱情と喧騒を静かに冷やし、沈黙と思考へと導いている。

法を具えた執政者が課税する場合にも同じようにやらなければならない。私服を肥やしたり、特定の人たちだけを優遇してはいけない。人々が幸せに暮らせるように、道をつくり、橋をかけ、井戸を堀り、豊潤な文化や芸術が育つための土壌を作っていかなければならない。政治というのは特殊問題を扱い、具体的なサービスを提供するからだろうか、それに納得しない群衆も確かにでてくる可能性がある。

しかし彼らがいなければ、私たちは水道や電気、道路などといった公共の利益を享受できなくなってしまう。行政サービスに過度に期待することは、そのサービス内容に一喜一憂してしまうことになり、私たちの幸福度を著しく下げてしまう。小欲知足の精神「法」は執政者だけではなく、我々民衆の方にも必要な美徳なのであろう。我々が完璧ではないように、政治もまた完璧ではない。過剰な期待は、不幸の原因であるのであり、我々の側からの寛容な精神は集団の幸福度を増大してくれるものである。

いまから二十年くらい前だろうか。インドに初めて行った時、道路の舗装がされていない場所が多く、川が氾濫して通れなくなっていたり、道路の途中で車が転倒しているので、それを片付けるまだのんびり待つしかない、ということを味わった。インド全体では電力が不足しているので、一日のうちの何時間も停電していることも多い。停電していなくても電圧を一定に供給できるほど国が豊かではないので、時には急激に高い電流が流れ、電気製品を破壊したりする。なので、電気製品はなるべく使用時のみコンセントに指しておくようにし、使用しない時にはコンセントから外しておくようにしないといけない。道路が舗装されていなくとも、電圧が一定しなくても、電力不足で停電になろうとも、道路や電力がないよりはマシなのである。不平不満をいっても仕方がないし、すこし不便な方が見えてくるものは沢山ある。

空から雨が降ってきて、怒り狂う人はいない。もちろん外に出る時には傘が要るとか、長靴がいるとか小さな変化をこちらから作り出す必要はある。すこしだけ知性を働かせ、工夫をすると雨が降ってきても楽しいものである。楽しいことや嫌なことが何処かからやってくると思っているとなかなかやってはこないものである。しかし楽しもう、面白いと思おうとすれば、雨もまた楽しく愉快なものとなる。

本記事は現在世界的に拡大している新型コロナウイルス感染症の早期終結を祈願し、毎日1偈チベットの箴言を翻訳して連載して、配信しているものです。


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