2020.04.10
ལེགས་པར་བཤད་པའི་ཆུའི་བསྟན་བཅོས་ལུགས་གཉིས་རླབས་ཕྲེང་བརྒྱ་ལྡན་

世界を崩壊へと導く、中途半端な知識や権力

『水の教え・波打つ数の二つの教え』を読む・第17回
訳・文:野村正次郎

半可通や有力者が増えることで

国家や地域の取り組みは崩壊する

左右から水が湧き出す土地では

どんな楼閣も家屋も傾かざるを得ない

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実際には事情をよく知らない知ったかぶりの半可通が様々な意見を述べ、有力者と呼ばれる者が増えることで、社会や集団というのは、せっかく何かよいことに取り組んでいても、計画を実行できず、課題に取り組んでも問題を解決はできない。様々な場所から水が湧き出す土地は、土台となる大地が、常に湿気を含み乾燥していないので、どんな建物であろうとも堅固に地上に建ったままの状態を維持できなくなる。日本でいうと埋立地の地盤沈下や液状化現象を考えると分かりやすい。

現在の私たち日本人が遭遇している状況もこれとまったく同じような状態である。公衆衛生学の専門家でも感染症の専門家でもない、半可通の知識をもった人たちが様々なところから情報を集めてきて、その情報を拡散する。地域や社会には有力者というのがいて、感染症の拡大防止を第一の優先順位にできない理由にもなっている。

無知は恐怖でもあるので、何かに対する情報や知識を得ようとするのは自己防衛本能に基づく行動である。同時に人は自己の意思通りにならないことを好まない傾向にあり、様々なことを自分の制御可能な状態においておきたい、という本能をもっている。しかるに情報を収集したり、知識を得ようとしたり、様々なことを制御可能な状態にしようとすることを必要以上に弾劾する必要はない。

しかし残念なことに、もともと無知であった人たちが急激に専門家になることもない。もともと制御できなかった様々なことが急激に制御できるようになるわけでもない。もしもそんなことが可能であるのならば、現在の日本人は義務教育で数学や英語を学んだので、指数関数的増殖と言われたらすぐにその内容が想像できるであろうし、毎日英語のニュースを聞いて理解でき、英語のニュースを日本語に翻訳する必要はなくなるだろうし、チベット語のテキストをこうやって日本語に翻訳することも全く無意味な徒労ということになるのだろう。

情報や知識を得ることはそんなに困難ではないが、それを自分で考えて理解する、ということ実は大変難しいことである。また中途半端な情報や知識では、実際には役に立たない、ということを忘れてしまってはならない。

すこし情報や知識を人よりも多く知れば、自分はその分野について「多少は知っている」と思い上がってしまう。すこしだけ自分の制御可能なことがあると、それを必要以上に「この程度は制御可能である」と思い上がってしまうのである。これは自己中心的な自己の過大評価によって起こる現象であり、こうした誤った思考のことを仏教では「非如理作意」と呼んでいる。「非如理作意」は過剰評価や過小評価を生み出し、それによって行動・言動・思考が動機づけられて、業は積まれていく。

日本を代表する詩人・萩原朔太郎は「政治は特殊的であり、芸術は普遍的である。前者は或る民族や、或る国家や、或る階級者やのために、ある特殊の場合、ある特殊の時代にだけ、律法し得る。之れに反して芸術はすべての民族、すべての階級者、すべての時代を通じて、普遍的一般的に通用する。」と言っているが、このグンタン・リンポチェの詩篇や仏典もまた、常に変わらない、普遍的な価値観を説いている。

雪解け水があちこちに浸潤しているチベットの土地は、
放牧には向いているが人間が家を建てるのには適した場所ではない


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