2020.03.28
ལེགས་པར་བཤད་པའི་ཆུའི་བསྟན་བཅོས་ལུགས་གཉིས་རླབས་ཕྲེང་བརྒྱ་ལྡན་

小さな功徳、せせらぐ清水

『水の教え・波打つ数の二つの教え』を読む・第6回
訳・文:野村正次郎

公平で知性を有する者

彼は功徳を拾い集めてゆく

大草原を悠然と流れる清水が

ちょろちょろと花を潤すように

6

釈尊の時代から、仏教では師弟関係というものが極めて大切である。2500年前のインドであるから、いまのようにインターネットも書籍などもない時代である。弟子たちは釈尊の教えを注意深く聞き、それを実践し、実践をしていく上で疑問点などがあれば、師や先輩に聞くことでそれを解決していった。すべての仏典は「私はこのように聞いた」というアーナンダーのことばではじまっているように、仏教の実践のはじまりは、善知識に師事するというところからはじまる。本偈はこの善知識に師事する弟子が、どのように学ぶべきかを清水が花を潤す様にたとえている。

日本の七倍の広さの国土をもつチベットには、草も生えていない場所ももちろんあるが、カム地方・アムド地方へ行けば、広大な場所に広大な草原が拡がっている。広大な草原には大草原には春になると見渡す限り花が咲き広がる。花が咲き乱れるというのは、水が流れているからであり、草原のような場所になると小さな雪解け水が、ちょろちょろと小さな音を立てつつ、上からは見えないが、高いところから低いところへと流れてゆくのである。一見すると僅かな水の流れや湿気のようにしか見えないが、それが大草原に咲きひろがる花の絨毯に養分をもたらしているのである。

見渡す限り花が咲き広がる青海湖のほとり

これと同じように本偈では、善知識に師事しようとする弟子たちは、師や先輩がもっているどんな小さな功徳であってもそれを見て、自らそれを身につけなければと思わなくてはならない。『サキャ格言集』にも

賢者には功徳は測り知れぬほど有るけれど、
他者の功徳は小さなものでも採用する

そのような実践を継続するにより、忽ちにして一切智者となってゆく

と説かれるように、公平で知性を有する弟子は、小さな功徳であっても、それを大切にして身につけようとしていかなければならない。弟子の条件とは、アールヤデーヴァが『四百論』に

公平で 知性があり 探究心のある
こうした聴聞者を「器」と呼ぶのである

と説いているように、自分の価値観に捉われ、他人の考えを嫌悪することのない公平性をもつことがまずは必要である。そして、功徳と過失、すなわち正しい道と誤った道とを峻別することができる知性が必要となる。そしてさらには功徳を拾い集めてゆきたいという求道心・探究心という三つの資質が必要である。

「求道心・探究心」というのはジェ・ツォンカパの『菩提道次第大論』によれば、良き性質や良い教えというのが、想像上だけの話で絵空事のようなものとして捉えることなく、リアリティのある教えとして、それを実践しようとする気持ちが大切であり、公平さと知性だけが有っても探究心や求道心がなければ、何も良き資質を身につけることができない、とされている。

明日チベット暦二月五日は、クンケン・ジャムヤンシェーパの遠忌である「クンケンドゥーサン」であるが、本日はクンケン・ジャムヤンシェーパのこの言葉で結んでおこう。

所知は草原のように広大である
正理の道が華のように咲き乱れる
さあ さあ 賢しき者たちよ
ここへ集い 戯れるがよい

この週末は自宅待機や花見の自粛で大騒ぎしている人たちも多い。しかし知るべきことは草原のように拡がっており、私たちの記憶にある小さな他者の功徳を思い浮かべて、静かに自分の心のなかで桜の花を満開にさせることもできるのではないだろうか。

チベットの遊牧民の御花見はピクニックで

本記事は現在世界的に拡大している新型コロナウイルス感染症の早期終結を祈願し、毎日1偈チベットの箴言を翻訳して連載して、配信しているものです。

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