2020.03.26
ལེགས་པར་བཤད་པའི་ཆུའི་བསྟན་བཅོས་ལུགས་གཉིས་རླབས་ཕྲེང་བརྒྱ་ལྡན་

大海原への旅支度は冷静沈着に

『水の教え・波打つ数の二つの教え』を読む・第4回
訳・文:野村正次郎

本偈は世間一般における普遍的価値感と仏教教義における宗教的価値感との両方を同時に説くものである。その両方の教えにおいて、実行するべきことと回避すべるべきこととが説かれ、それによって何らかの判断をし、その判断にもとづいて行動し、我々人間が短期的に目標とすることと長期的に目標とすることの両方を実現しようとする。

ここでの短期的目標とは、現世利益や来世における天人への転生(増上生)であり、長期的目標とは解脱(決定勝)や一切相智位(仏位)の実現を指している。判断を行う場合には、様々な可能性や選択肢を想定しなければならない。客観的に正しい判断をなし、正しい選択ができる賢い人間になった状態を、大海を航海できる船長に喩えている。

今日のように科学技術が発展した状況であっても、航空機や船舶での航行術を身につけることは用意ではないし、航行術の基本は、まずは自己の位置情報を、さまざまな情報から推測し、正しい方向へと航行するために、複合的かつ客観的な判断をすることにある。

航行術と同様、仏教のすべての実践のためには、自己の精神的な位置情報を冷静に認知し、その上で様々な選択肢を想定し、選択によって齎される結果を予測し、その上で慎重な合理的判断をすることが求められる。情報の収集作業にあたるものが聞法であり、情報の分析にあたるものが思考であり、正しい判断への熟練が修習ということになる。

もうすこし卑近な例にたとえるのならば、自動車を運転する際にも、常に視界に対して注意を払わなければならないし、標識の意味を理解していなければ、安全運転ができない。たとえ視認可能な情報が与えられていても、情報に対する分析的な判断を誤ると交通事故になる可能性がある。だからこそその判断にはある程度の規制されたルールが必要となる。そしてその判断もまた繰り返し行わなければ精度を高めることができず、繰り返し同じ判断をした経験したことにより、情報を認知した瞬間に正しい判断ができるようになる。

たとえば、米国など右側車線を走らなければならない道路で運転をする場合には、信号が赤でも停止せずに右折しなければならず、右折車線にいて目の前の信号が赤へと変わった場合でも、急停止せずにできるだけ早急に右折しなければ後続する車両によって追突されてしまので速やかに右折しなければならないが、交差点の右側奥からスケートボードに乗った歩行者が横断しようとしはじめていたら、追突されないように停止しなければならない。こうした判断を瞬時に行うためには、ある程度の想像力による学習と実践での習熟が必要である。追突事故や人身事故が起こった時に、日本の道路交通法とは違うので間違えました、というのでは遅いのである。

自動車の場合には、自分で運転するのをやめて、運転手を雇用するとか、バスやタクシーといった公共交通機関を利用することができる。あるいは友達や親戚に頼んで代わりに運転してもらうことで目的地に到達することができる。しかしこれが人生の場合にはそうではない。私たちは他人に自分の人生を代わってもらうこともできず、ひとり死んでいかなくてはならない。どんなに財産があろうとも、どんなに国や家族が豊かであろうとも、死の孤独には自分自身で向き合う必要がある。

「私は解脱への道を既に示している。それを実践するかどうかはあなた次第である」

これは釈尊が涅槃に入られる際に語られたと謂われるが、仏教は古来極めて個人的で理知的な精神の営為を説く宗教である。ひとつひとつの教理には、それを実践することの利点とそれを実践しないことの問題点とが説かれている。

死という無常を考えるとどんな利点があるのか、死という無常を考えないとどのような問題があるのか、それらの命題が真であることは論理的にどのように証明されるのか、そのことをこれまで2500年以上、蓄積されてきた知識の集大成である航海図を我々は手にいれなければ、大海で遭難してしまうだろう。しかしながら幸い現代の技術発展は情報共有のボーダレス化をもたらした。道に迷いそうになってもダライ・ラマ法王をはじめとしたチベットの叡智に触れ、航路を修正をすることも可能である。

日本でも都市封鎖の可能性が出てきたが、冷静に考えてみると巨大隕石が衝突した訳でもないし、富士山が噴火した訳でもない。統計的に考えれば、巨大隕石の衝突や富士山の噴火も可能性としてはゼロではない。現在我々が大騒ぎしているのものは、単なる肺炎ウイルスによる感染症の拡大に過ぎないのあって、感染による死亡率も100パーセントではなく、回復している人も多くはいる。このようにさまざまな可能性や選択肢を冷静に想定し、客観的にものごとを分析的に考えるならば、現在の問題などそれほど大きな問題ではないのであり、生きている限り死につつある、ということの方が大問題なのである。何故ならば生まれてきたその瞬間から死亡率は100パーセントであるからである。

私たちが仏教に関わり、一切衆生のために成仏するという大航海を終えることは、一人乗りのヨットで太平洋を横断することも遥かに難しいことだけは確かであろう。いまはまだ大海原に飛び出していないのなら、まずは心を落ち着かせ冷静沈着な旅支度が必要ではないかと思われる。

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