2018.08.22

十万の龍が見学に来たことを誰がどうやって知ったのか

十万龍大祭の故事を考える
野村正次郎

今年の「十万龍大祭」(デプン・ルンブム)は、港区高輪のGOMANG HOUSEにおける定例法話会の日となった。

「十万龍大祭」(デプン・ルンブム)とはデプン大僧院ができたのちに、創始者であるジャムヤンチュージェ・タシーペルデンと、ケードゥプジェ・ゲレクペルサンポのお二人がデプン大僧院で問答を披露した時に、その問答が大変素晴らしいものであったので、十万の龍たちが見学に来たということを記念する行事である。チベット歴では、7月8日にあたるこの日は、デプン大僧院では、ゴマン、ロセルリンの両学堂から『現観荘厳論』第四章のクラスの代表選手が問答を披露することとなっている。

法話会ではその逸話などがリンポチェより紹介されたが、法話会終了後にリンポチェと散歩しながら次のような話になった。リンポチェはふと次のようなことをおっしゃった。

ところで、十万の龍が見学に来たことを誰がどうやって知ったのか、何か知ってますか?

確かにデプン・ルンブムの伝説は、代々デプン僧院に伝わるものではあるが、具体的にもっと詳しい話はあまり聞いたことがない。デプンの僧侶たちもデプン・ルンブムは基本的に「お休みの日」という認識であるので、私も聞いたことがないので、適当に「そりゃ、リンポチェ。当時はたくさん菩薩や神通力がある弟子たちがいたというじゃないですか。きっとそのなかの誰かが見たのがいまに伝わっているじゃないですかね」と答えた。しかしさらにリンポチェはふとおっしゃる。

それはまあそうかもしれないけど、そもそも龍というのは畜生道の衆生なので、仏法を聞いてもわからないはずだ。経典のなかにも人非人がガンダルヴァなどいろいろな動物が説法を聞きに来る話はあるだろ。龍はあたまがいいし、聴聞しにくる話があったり、般若経をもっていったりする話があるけど、そもそも龍は畜生だからな。仏教を聞いても実践はできないはずなんだけど、一体何のために仏法を聞きに来るのか、お前はどう思うか。

「『普賢行願讃』にも「天や人や龍や夜叉の言葉で私は説法しよう」とありますからね。法施ということばもあるように、そもそも仏法が言葉として発せられると無量の衆生が功徳を積むといわれるように、畜生だって説法を聞いたら何か功徳を積むんじゃないですかね。」とまた適当なことをいってみた。

いやいや、そりゃ当たり前のことだよね。ブッダの行いで衆生を利益しない活動などひとつもないから、どんな活動であってもそれは衆生を利益する活動なんだ。しかし有暇具足の人身は得難く、如意宝珠よりも貴重なものだというじゃないか。動物は説法を人間が聞くようには聴聞できないはずだよね。龍のことはよくわからないが、その龍が問答を聞きにきたことを一体誰がどうやって知ったのか、それはやっぱり謎だね。

確かに言われれてみれば、その通りである。とりあえず散歩の途中なのでこの話はここで中断した。芝公園ではコオロギが鳴きはじめ、秋の訪れを少しずつ告げている。東京タワーも残暑の残る熱風にさらされながら、輝いていた夜であった。