2018.06.23

一切功徳の源

「人生を無駄にしてはいけません」

上の言葉を幾度となく、僧侶の方達から聞かされてきました。彼らは私たちにとって、いわば道しるべです。僧侶の方達のアドヴァイスが的確なのは、自利を挟まず、自他の心で話してくれるからでしょう。具体的にこの人生をどう生きればいいかわからず、ある日「出家しようか悩んでいます」とゲンギャウ先生に相談したことがありました。

「出家なんてできないでしょう」

と、先生は笑って取り合ってくださいませんでしたが、それは出家したいという心が本気かどうかを試しておられたのだろうと思います。

「出家をすれば積む功徳も大きくなるので素晴らしいことです。しかし、出家して、すぐに還俗するのはよくないですよ」

チベットでは出家して一度還俗すると、もう出家者に戻ることはできません。出家するというのはお手軽なことではないのです。特に海外の人たちで「チベットの仏教で出家したい」と申し出た人たちには、「まずはよく考えてください」と先生方はアドバイスされます。

出家をすると、戒律を授かります。戒律を授かっておきながらそれを破ると罪を積むことになります。一方で、「在家者の戒律は破ることを恐れて授からないよりも、授かった方がいい」と考える方もあるようです。たとえ破ったとしても、「悪かった」と懺悔することができますが、そもそも授からなければ、懺悔すらもできないからです。

ジェ・ツォンカパは、

「他者に対して危害を与えることと、その基盤を有することから、心を別の方向へと退かせて断とうという思い、これが戒である」

と「戒」を規定した上で、

「この思いが発展して完全なものとなることによって、「戒波羅蜜」となるのであって、外部の表面上、有情に対して危害を加えることを残り無く離れた状態になったことによっているのではない

と『菩提道次第略論』で説いておられます。これはとても厳しいことです。人と喧嘩をしたり、自分の思い通りにならなかった時、相手を実際に殴ったり、刺したりすることはむしろ稀です。それよりも、「このやろう」と心で怒ったり、「この人がいなくなってくれればいいのに」とか、「地獄に堕ちろ」という考えが起こってきます。心が怒りや嫉妬に慣れ親しんでいるため、これは変えることが容易ではありません。ジェ・ツォンカパはまた、アールヤシューラの『波羅蜜集』を引用しながら、

「悪行の一切の種子を断じた清浄なる智慧を得させるものである」

と戒について説いておられます。戒律があることによってこそ、全ての悪行の芽を取り除くことができるのです。ですの戒律を授かり、十不善を断じていくことが必要です。

「人に生まれることは、針の上にごま粒が刺さるようなものです。この得難い機会を、無駄にしてはいけませんよ」

と、いつもゲンギャウ先生はおっしゃっていました。出家者であるか、在家者であるかに関わらず、我々は人間に生まれてきたこの機会を活用しなければなりません。

では、どうすれば、この生を意味あるものにできるのでしょう。事務局の野村先生が以前、生きるの記事ですでに書かれておられる通り、私たちの人生の意味は、「ほかのすべての衆生のために生きること」です。そのために、ことの大小に関わらず、できる限りのことをやっていくしかありません。

戒は一切功徳の源。正しく授かって、守り育んでいきましょう。