2017.07.22

沈黙の時、説法の時

初転法輪祭を考える
野村正次郎

釈尊は4月15日に成道してすぐに次のように語ったと言われている。

甚深にして寂静で離戯論なる光明無為にして
甘露の如き法を私は獲得した。
誰に説こうとも理解されるものでないので
これを語るまい、森のなかに棲んでいよう。

これは自らが得たその境地はあまりにも難解であり、決して誰かに理解されるものではないので、それを語ることなく、森の中に棲んで静かに暮らしたままにするのがよい、という趣旨のものである。ブッダが悟りをこの世で開いたにも関わらず、説法をしてくれないのであればこの世は滅亡してしまう。こう察した梵天(ブラフマン)は、何とか説法をしてもらえるようにお願いをし、それを承けてブッダは自らと苦行を共にした五人の修行者たちにまずは説法をしようと考え、彼らが修行をしているベナレスの鹿野苑へと出向いて6月4日から説法を開始されたとすべての仏伝では説かれている。

釈尊が成道されたネーランジャラー河のほとりの菩提樹から、ベナレスの初転法輪の地までは大体250kmくらい離れている。現在はGoogle Mapのおかげでリアルにその距離を確認することができる。いまのように車などの移動手段がない時代であるので、徒歩でいくと大体50時間くらいかかることが分かるだろう。私たち日本人はいまは酷暑のなか冷房がかかった室内でのんびりやれているが、釈尊はあの暑いインドでこれだけの距離を説法をするために歩いていかれたのである。

釈尊が何故最初に説法をせずに、沈黙をしていたのか。そして何がきっかけで、どんな目的で説法をはじめられたのか。そしてその後何を説かれていったのか、こうした問いかけは仏教徒でなくても、興味深い問いかけであろう。ここが仏教のはじまりであることには間違いないのであり、この地上で仏教がはじまったということはどういうことなのか、そして何故最初ブッダは沈黙を守っていたのか、ブッダは何を説いたのか(仏教とは何か)という問いかけ自体は信仰の有無とは無関係に重要な命題である。特に飛鳥時代から仏教を求めて来たこの日本では、その問題は誰にとっても無関係な問題ではない。

釈尊の生きておられた時代はいまの日本とは全く異なっているし、場所もインドという日本から随分離れた場所である。しかし昔に比べると私たちの現代社会は随分発展して、どんな人でもブッダが最初に説法した地にスマートフォンからアクセスできる。

最近は通勤電車で新聞や雑誌を読んでいる人も少なくなった。近所のレストランがネットで話題なのでそこに行ってみようかなとチェックするように、ブッダが最初に説法された場所にどうやっていったらいいのか、そこがいまどんな場所なのか、ちいさな画面からアクセスすることができる。移動中にスマホのゲームをするのも、ネットの時事ニュースをチェックするのもいいが、世界の三大宗教がはじまったその場所をチェックしたり、そこで何が起こったのかの情報を確認することもやってみると面白い。

釈尊の沈黙の時、説法の時へと想いを寄せるならば、そこには壮絶なドラマがある。そしてそのドラマを通じて無限の可能性や真実や希望が見えるだろう。

日本別院では来週転法輪を記念して法要が行われ、7月30日の日曜の午後にはゴペル・リンポチェによる四聖諦の解説の説法が行われる。リンポチェはチベットのカム・リタンに生まれ、カイラス山から徒歩でインドへと亡命され、そしてデプン・ゴマン学堂で何十年も学ばれた後に、その教えを伝えることを日本へ今年来られた。

現代では移動手段も釈尊の時代よりはるかに発展しているが、リンポチェが日本へと来られるに至った道のりを地図で確認してみると、この移動距離を見てみるだけでも、何ともありがたい。来月は日本人の誰しもが関わっている仏教の最大行事たる「お盆休み」がある。「お盆休み」で仕事を休むことも大切だが、そもそも何故そこが休みなのか、そしてその休みの理由となった仏教とは何か、ということに思いを寄せて見てほしい。


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