作成日: 2016-05-10 最終更新日: 2016-09-18 作成:野村 正次郎

【入菩薩行論・抜粋訳】

以下のシャーンティデーヴァの『入菩薩行論』の抜粋は、ゲン・ロサンが1日で終わる法話会のために大切な所を抜粋してくださったものです。ゲン・ロサンの素晴らしい解説は録音してありますので、今後その翻訳は徐々に公開したいと思います。また翻訳も修正すべきところがありますが、ゲン・ロサンの教えてくださったものをいま一度思い出すために、ここに当日配布したプリントのデータを公開します。

この有暇具足は極めて得難い 人の目的を達成可能なものである。
これを活用できないとしたのなら 後で全うすることができようか

漆黒の闇のなか 稲妻は天空を照らし出すが一刹那である
そのように仏の力でも世間が福徳に智慧を巡らすのは稀である

信じるに足らない死神は行為をしているかどうかを問うことはない
病めるか否かを問うこともない 忽然として生命は揺さぶられる

すべてを捨て衣替えが必要なことを私は理解していない
親しき者のために 親しくない者のために様々な罪業を為している

親しくない者は去って行く 親しい者もまた去って行く
そして私も去って行くのだろう すべての者が去って行く

死の床に臥せる時 家族や友たちは私を取り囲む
しかしたった独りでこの命に終止符を打つのだ

死神の使者に捕まるとき 家族や友たちがどれだけ役立つのか
その時救いは福徳のみにあるのに私は無為に過ごしてきた

救済者よ 放逸にしてこの私は恐怖に眼をそらしてきた
無常な今生のためだけに数多の罪業を為してきた

何ともない病の恐怖に怯えるても医師のことばに従わなければいけない
貪りなどの悪しき症状が多発する病めるときには殊更言うまでもない

たったひとつのことがすべての世界を破滅させてしまうのである
ここに生き残るためには この薬以外のものはどこからも入手できない

これを治療する一切知者 彼はすべての病のための処方をしている
にも関わらずそのことばに従わないとは 何とも無知で蒙昧ではないか

ありきたりの小さな段差にさえ落ちないように留まらねばならない
ならば千由旬も落下し留まらなければならない断崖はいうまでもない

今日だけは死なないだろう そう安堵しているのは正しくない
この私が居なくなってしまうその時は疑う余地なく来るだろう

地などの大種や虚空のように どんな時でも常に
無限の有情たちの様々な生きる要とならんことを

過去の善逝たちが菩提心を起こし菩薩の初学を学び
それらに次第に住し給われたように私もありたい

そうした心で 純粋にそして清らかな菩提心を心に留めよう
竟にはそれを開花させるため 私は心をこのように鼓舞したい

いまこそ私は命の果実を結ばせる この人として有ることを善く得ている
今日いまこの時に仏の種姓へと生を結び 仏の子となったのである

いまどんなことをしても私はこの種姓に相応しい所業をはじめたい
過ちを犯さぬこの求道者の種姓を汚さないようにすべきである

盲目の者が塵の山に宝を見出したのと同じように
偶然にも私はいま菩提心を起こしたのである

衆生の死神たちを駆逐する最上甘露がこれである
衆生の貧困を解消する無尽蔵の宝石はこれである

衆生の病をすべて癒す最上の薬がこれなのである
生存の道を彷徨う衆生が休息する樹がこれである

一切の衆生たちを悪趣より解き放す橋である
衆生が煩悶する苦しみを取り除く心の月は昇る

衆生の無知の眼病を偉大なる太陽である
正法の乳は撹拌されバターの素が得られた

もしも修復可能なら それを憂うべきことなど一体何があるのだろう
もしも修復不可能なら それを憂うことで一体何の役に立つといのだろう

私に対しても友に対しても 苦しみも不躾な罵声や汚名を望まない
しかしながら敵対しているものにはその逆を望んでいるのである

幸福の原因があるのは一時的だが苦しみの因は多い
苦しまねば厭離しないので 心よ お前は踏みとどまるがよい

自己と他者は平等だとはじめから勤めて修習せよ
楽と苦を等しくするが故にすべての者を自己の如く守るべきである

手などの様々な部位があろうとも全体としては身体のみを守るのと同様に
衆生の苦楽が異ろうともすべては己と同様に等しく楽を求める者だけである

私の苦しみがたとえ他者の身体を傷つけないとしても
それは私が苦しむことであり我執はそれに堪えられない

同じく他者の苦しみが私に何ももたらさなくても
それは私が苦しむことであり我執はそれを堪え難い

私は他者の苦しみを取り除く 苦である限り私の苦しみと同じように
私は他者を利益しよう 有情である限り私の身体と同じように

私と他者というこの両方が 楽を望むに等しいのなら
私のことと差がどうしてあるのだろう どうして私のためだけに努めるのか

私と他者というこの両方が 苦を望まぬのが等しいのなら
私のことと差がどうしてあるのだろう どうして他者ではなく私を守るのか

彼に苦しみが起こることで私が傷つかないから守らなくてもよいのなら
未だ起こっていない苦しみはまた傷つけないのでそれをどうして守るのだろうか