2010.12.11

しあわせな靴屋

「あのインド人は幸せものだよ」

とゲンロサン。
南インドのデプン寺院内、ゲンロサンの住んでおられる建物の斜め前には、小さな本屋と商店があり、その建物を囲む塀の前に、ちいさな黄色いテントがある。テント、と呼ぶには少々お粗末で、正確には木の棒に黄色いビニールシートがかぶせてあるだけだが、その下ではインド人のおじさんが日長座って仕事をしている。
彼の仕事は靴の修理。僧侶の壊れた靴を、毎日せっせと修理する。

「あの靴屋はチベット語が達者だから、靴を直しながらいつも僧侶たちと陽気に話しをするんだ」

デプン寺院には毎日近くに住むインド人が行商に訪れる。朝は野菜売りや卵売り。昼は洗濯屋にお茶屋。夕方は焼きトウモロコシ屋にスイカ売りと、僧侶の生活に合わせてひっきりなしに物を売にやってくる。彼らは商売のために僧侶たちと話をするので、チベット語を巧みにあやつる。とくに靴の修理屋は靴を直すのを待っている僧侶と話をするので、チベット語がとても流暢だ。

「 彼は日に100ルピー足らずのお金を稼いで、『今日も良い日だ、何も問題ない』と笑ってる」

靴の修理代は微々たるもの。それに僧侶の靴が毎日潰れるわけではないから、日に何人の客が来るかなど、その日になってみないとわからない。だがその日の稼ぎがよくても悪くても、靴屋はどこ吹く風。陽気にその日の仕事を終えて、家路に着く。家では妻とたくさんの子どもたちが彼の帰りを待っている。

「彼の心はとてもゆったりしてるよ。その日その日を生き、心に心配を抱かない。ひなが一日人と話をして、仕事をのんびりやってる」

彼の生活に苦労がない、というわけではない。彼ら生活は金銭的にけっして豊かではないし、子どもたちは十分な教育を受けられず家の仕事を手伝っている。

「どんな状況でも、それを受け入れ満足しているから彼は幸せだね」

と古くからの友人について語るように、ゲンロサンは靴屋について話してくれた。

以前、デプン寺院の近くのチベット亡命キャンプで暮らすチベット人の女性と同じ汽車に乗り合わせる機会があった。最初彼女を見たとき、学生だと思った。彼女の身体はとても小さく、華奢だったから。しかし、話をしてみる歳は30手前で、娘が一人おり、母親と兄と一緒に暮らしていることがわかった。

「これから叔父さんと一緒に、デリーまで買い付けに行くんだ」

長い汽車の旅、あまりある時間を潰すため彼女は少しずつ口を開いてくれた。

「私は他の村の男を好きになってね、駆け落ち同然で夜中に実家を飛び出したんだ。両親には、何も告げずにさ。しばらくして、私は妊娠した。私は商売を続けながら子どもを生んだんだけど、男の方が他に女をつくったんだ。ある日夜中に目を覚ますと、男が自分の荷物をまとめて出て行こうとしていたところだった。私は、『あんたの荷物はこれだよ』って言って男に荷物を渡して送り出した」

そんなことよく出来ましたねと、驚いて言うと、

「ひきとめたって仕方ないよ。私は子どもを連れて実家に帰った。だがしばらくして父親は寝たきりの生活になった。ひどい父親だったけど、ずっとベットの上だから、床ずれして、最後はひどく苦しんで息をひきとった。兄はもともと心やさしい人だったのに、軍隊にいって、家に戻ってきたときには酒びたりになってた。今じゃ酒を買う金を私や母親にせびり、暴力をふるう。酒なんか大っきらいだ」

彼女の話を聞き、何と答えていいのか私にはわからなかった。

その時彼女は、露天で売る服を買い出しにデリーまで行くため、子どもは近くに住む姉の家に預けてきていた。

「娘は私が携帯で話しているのを見ると、必ず『今の誰?男の人?』って聞いてくる。私が再婚するんじゃないかと心配してるんだ。私も子どもが男だったら再婚してもよかったけど、娘だったから再婚はしないよ。父親に乱暴されたら困るしね」

そんな話を何でもないことのように語って、彼女は腰をたたきながら伸びをする。長い時間汽車に揺られて、疲れた様子である。

「家にいると、朝から晩まで忙しく働いてすぐに時間が過ぎるのに、汽車はたいくつだね。早く家に帰って、子どもに会いたいよ」

そう話す彼女の顔には、苦しみや絶望ではなく娘を想う母の愛があふれていた。

今日もきっと、靴屋は靴を直し、小さな母親は忙しく仕事に追われている。
いつものように心に笑みをうかべながら。

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