2009.08.17

広島の若者たちへ

広島に原爆が投下されてから六十年近くの月日が経った。広島でも若い世代の人間が増え、戦争も知らない人間が多くなった。近年被爆者と未来を創造してゆく若者が集まり「世界平和首都」という理念のもとに、今後の広島の人々がどのような活動をしたらいいのかメッセージをいただいた。

2003年11月・東京にて

「広島」、それは強烈な破壊力をもった核兵器が最初に人間の頭上に直接投下された場所です。そこは史上最初の被爆地となり、歴史的な惨劇の場となりました。その後次第に核兵器は拡散し、この地上には新たな恐怖が出現したのです。一方、広島に住んでいるみなさまは戦後リーダーシップを発揮し、徐々に徐々に核廃絶への願いを伝え続け、いまではその願いはこの地球上をすべて覆うようになりました。

いまわたしたちは二十一世紀を迎えています。最近は戦争反対を訴える人も増加しています。先年イラク戦争が勃発しそうになった時も、東はオーストラリアからアメリカまで戦争反対を訴えた人は、数百万を下りません。この現象は全世界の人々の心のなかで暴力に対する嫌悪感が増大しており、「もう暴力では何も解決できない」という思いが確固としたものになっていることを意味しています。みなさまのように、広島で直接に被爆体験をなさった人々、すなわち自分の身をもってその悲痛を味わった人々、これらの自らの体験した苦悩と痛みそのものにもとづいて今日まで「この地上にこのような大量破壊が二度と繰り返されませんように」と訴えてこられたその意志、希望、祈りが人々に浸透したのだと思います。

いまこの被爆者の方たちの祈りと責任が若い次世代の人々に手渡されつつあります。

次世代の人々であれ、被爆者の方であれ、みなさんは自分たちの経験にもとづいて単に「核兵器が廃絶されればよい」と単に祈るだけではなくそれを実際の行動に移し、多くの人々に伝えてゆかなければならないでしょう。

この地球上を武装解除し、再び戦争が起こらないようにすること、これは私たち全人類が負っている責務です。その第一歩として核兵器を廃絶しなければなりません。これがわたしたちの最初の仕事となるでしょう。既にこの地球上では兵器削減の運動はもう始まっています。これからもこの流れを継続し、より微細な点まで考慮してゆく必要があるでしょう。徐々にではありますが、そのような営みによって最終的に核兵器を廃絶することはできると思います。

この地球上を武装解除し、戦争を根絶してしまうこと、これが私たちすべてが抱いている未来への希望です。もちろんこうした思いは何百万も何億もの多くの人々の心のなかにあるものです。しかし、いつの時代にも政治的状況に左右され、そうしたメッセージをはっきりと発言できずに耐え忍ばざるを得ない人が多くいることも確かです。

「広島」という歴史的な地に住んでいるみなさんは、いままでそうであったようにこれからも道先案内人としての役割があります。世界中の何億もの人々が心のなかで願っていること、それをはっきりと口にだし、発言をしてくださるのはみなさんです。みなさんには、その正統な根拠もありますし、こうした仕事と深く関係しているはずだと思います。今日までみなさんが反戦運動や反核運動の中心的な役割を担ってきましたように。これからもそのような運動を継続して下さるよう私は願っています。そしてその成功に祈りを捧げたいと思います。

私に一言だけ言うことがあるとすれば、それは「戦争反対と訴えると同時に、その背後にある苦難を生み出す問題を解決しようとする」というこのことの大切さです。

戦争が起こる以前に、そこには様々な苦しみや問題が水面下にあります。こちらにも眼を向けなけなければなりません。そして人々の味わっている苦悩や問題は、単に戦争に反対するだけで解決できるものでないことも確かでしょう。

戦争に対する反対を訴えると同時に大切なことは、暴力を用いないでこうした苦しみや問題に対する具体的な解決策をはっきりと提示することだと思います。戦争反対を訴えるだけで満足せず、戦争によってもたらされる苦しみ、戦争が起る原因となる苦しみ、これらに対しても同じような責任感をもたなければなりません。そして苦しみを取り除き問題を解決するためにはこうこうこうした方法がある、という具体的な手段を提示できることが大切だと思います。そしてそれは現実にその苦しみに直面している人々が簡単に想像できるようなものでなくてはならないでしょう。

議論や論争はそのうちにだんだんその熱くなるものでしょう。しかし我々がそこにある苦しみや問題を無視することなく直視し、「このような苦しみや問題があり、それにより人々は苦しみを味わっている」ということを明らかに示し、「だからこそ暴力的手段に訴えて苦しみを増大させることは誤った解決策である」と言うことができるのなら、我々が模索している道の方向性についても、論理的な理由付けがされ、そして運動の背景にある思想もより強固なものとなるでしょう。

イラク戦争に対する反対運動が起こったときに、数百万人の人々が暴力的手段というものに反対を表明しました。これは私にとって大変な驚きであったと同時に大きく勇気づけられるものでした。しかし結果的にはイラクにあった苦しみを取り除くことはできませんでした。いまもなおそのイラクには様々な苦しみが残っています。そこで私はこのような戦争の背後にある苦しみや問題を解決することこそがより大切なのではないかと思うようになったのです。当時、私にも「イラクにいらっしゃるといいです」「現地に行き、何か活動したらどうですか」という声もありました。しかし私がイラクに行ったからと行ったからといってどうなるでしょう。私は一人ですし、もちろんイラクには知人や友人もいません。全く知らない場所に突然行ったとしても、私が戦争を回避させること殆ど不可能だと思います。そのようなこともあり、私は強く次のように思うようになったのです。

これから、未来に向け、ノーベル平和賞を受賞した私の友人たち、世界的に名実をともにしている科学者、芸術家、作家、哲学者、社会貢献をしている人々そういう人はこの地上には沢山います。彼らひとつの国家の政治的利益や経済効果だけを考えているわけではありません。すべての人間の苦しみや幸福を常に考えている広い視点をもった人々です。こういった人々がひとつの目的のために集まって、いまこうして私たちにとってこの苦しみの記憶に新しいうちに、私たちの未来への展望について語り合う必要があると思います。そしてそのような議論を積み重ねてゆくのなら、もしかするとこの地上から今後この地球上にそのような苦しみや問題を根絶させる何らかの解決策が見出せるかも知れない、そう強く思うようになったのです。

いずれにしても我々が苦難に直面した時に、その苦しみを取り除くために暴力的手段には反対を表明し、非暴力の手段により苦しみを取り除く具体的策を示すこと、これが非常に大切であると思います。

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