2020.09.16
ལེགས་པར་བཤད་པའི་ཆུའི་བསྟན་བཅོས་ལུགས་གཉིས་རླབས་ཕྲེང་བརྒྱ་ལྡན་

「私」はこの物語の主人公ではなく、劇作家である

『水の教え・波打つ数の二つの教え』を読む・第125回
訳・文:野村正次郎

名指された対象を正理で解析すると

それ自体で成立するものは何も無い

百の渓谷を巡り流れる川でさえ

果てには水滴ほども無くなるように

125

「これは私である。これは私のものである。」この二つの意識からすべての利己的な思考が形成されていく。私に何か好ましいことが起これば、その状態が続くけばよいという欲望が芽生え、その自分が好ましいと思っている状態に何か、問題が起きたり嫌なことがあれば、出来るだけはやくその嫌な出来事から離れたいと思う。いつかは別れを告げなければいけないこの世は時には美しく見え、ここに止まりたい、そう思いながら明日と近い未来の「私」のために、私たちはありとあらゆる活動をしている。

時には人生に行き詰まり、周りは敵だらけに見えて希望を失い、もう死んだ方がましだと思い自殺する。自殺は自己愛の暴力的表現のひとつである。この世から去るという決断をしたくせに、遺書を残したり、怨念を残し、死後もなお自己の存在を主張しようとする。もっと生きているうちに力になってあげたら良かった、そんな空虚な言葉が宙を舞ってももう遅い。更に数年もすれば、誰にも思い出されなくなり、そんな激しい自己主張をした者も、何百年経てばその人の軌跡は微塵ほどもなくなってしまう。

他人は自分たちが思っているほどには、「私」たちには関心がない。自分の存在に対する承認欲求が強い人間は社会には絶望しても、せめて神仏ならばこの「私」のことを分かってくれて、愛や慈悲を注いでくれるかも知れない、そう勘違いし、甘い期待を抱いたりする。神や仏は、「隣人を愛しなさい」「他者を利益しなさい」と説いたのだが、その部分は聞こえなかったことにし、神仏よりも大切な「私」のための自己愛を深めるのに日々右往左往しているのである。

これらのすべての悲劇の根本原因に「私」がいる。「私」、そしてあなた、そして彼らや彼女たち。彼らや彼女たちからみた「私」、あなたから見た「私」、世間のほとんどの中心軸には「私」がいて、「私」たちは自己愛を強力にし、自己主張をし、「私でないもの」を後回しにして生きている。「私」はこの私には私という何か、他のものに一切依存しないで生きている、それ自体で成立している私が存在していると思っている。しかしそれは何か様々なパーツにただ「私」と名指しただけに過ぎないのであって、「私」と思い込んでいるその「私」は最初から存在していない。だからこそ「私」の延長線上にある、私にとって他のものにより「私」よりのものも、すべて最初から存在していない。ただこの滑稽な悲劇に登場している「私」が勝手にそれらを自分のものである、自分の仲間である、というように都合よく自己本位に考えているのに過ぎないのである。

果たしてこの滑稽な悲劇の主人公は「私」なのだろうか、主人公ならまだましたが、実は脇役の脇役くらいでもない、「私」はこのこの悲劇を作り出しているのは劇作家のような存在である。本来、この「私」の物語がどう構成されていきか、どういう終幕を迎えるのか、それは私たちひとりひとりに表現の自由が委ねられているのである。この「私」の物語をどうするのか、それは我々自身の意志で決定することができるものである。

チャンドラキールティやツォンカパは最も微細な否定対象とは、名称や記号によって名指されているだけではない、対象それ自身のから成立しているもの、であるとしているが、「私」という名指しの意識は、すべての衆生に共通しているものであり、すべての衆生が無始以来の強力に持ち続けている我執にほかならない。この我執は、「私」というものを名称や記号でそれを指示しているだけではなく、何らかの確固とした「私」というものがそれ自身の側から成立しているものである、と思い込んでいるのである。しかしこの思い込みはあくまでも虚構作業に過ぎないのであり、その「私」は幻想である。ちょうど川の流れのように様々な渓谷を通り抜けていくかも知れないが、最終的には海水と混じり合ってしまい、塩分を含まない川の滴というものを取り出すことなどできない。これと同じように自己愛や利己主義をどこまで徹底させようとしても、最終的には「私」と幻想を抱いている通りに存在する「私」は決して形成することなどできないのである。

現在のゴマン学堂の近くゴアのビーチは、アラビア海の遠浅の非常に細かい砂浜である。
もちろんその水は日本の海と同じくらいの濃さの塩味である。

本記事は現在世界的に拡大している新型コロナウイルス感染症の早期終結を祈願し、毎日1偈チベットの箴言を翻訳して連載して、配信しているものです。


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