2020.07.05
ལེགས་པར་བཤད་པའི་ཆུའི་བསྟན་བཅོས་ལུགས་གཉིས་རླབས་ཕྲེང་བརྒྱ་ལྡན་

河が流れるように、私たちは死につつある

『水の教え・波打つ数の二つの教え』を読む・第95回
訳・文:野村正次郎

生まれてきた時その瞬間から

留まることもなく死神の方を向いている

河は流れてゆき如何なる瞬間であろうとも

逆流することなく海へと向かっている

95

いまは死なない、明日も死なない、そう思っているのは単なる甘い期待である。今晩眠り明日は朝起きれない可能性もある。今月無事に過ごせても、来月は死んでいる可能性もある。残念ながら物は壊れてゆき、人は死んでゆく。

死は突然にやってくるものではない。私たちは常に死に直面している。私たちは生まれたその瞬間から老い、常に死につつある。老いや死のことを私たちは意識的に思い出さないようにしているだけで、それは誤魔化しているのに過ぎない。この世に誕生してきたばかりの、愛らしい永遠の輝きをもっているかのように見える幼子も、死神はその誕生の時からじっとその子が死ぬのを待っている。

善知識に師事し、八有暇十具足を備えた人身という所依を得ていることを再確認した修行者は、この境涯を何とか意味のあるものにしようとして、まずはこの死という無常を思うことからはじめなければならない。死を思うということは、自分の死後、今現在享受しているこの現世利益である財産や名声、親族や友人をどうしようかという遺言を残したり、どんな葬儀をしてもらい、どんな墓に入りたいのか、といった悪あがきにも似たことに感心を払うことではない。どんなに立派な財産や名声を築き上げようと、人々はそのうち私たちのことなど微塵ほども思い出してはくれない。どんな立派な墓をつくって、大金を積もうとも、この世を去ったのちには、いまのこの肉体と関わっている出来上がったものを永遠に維持しようとすることなどできないのである。

現在のように感染症が世界的に拡大し、その疫病にかかって死者が多くでている時に生活していると、私たちは死の原因は病気にある、という錯覚をもちがちである。しかし、残念ながらそれも単なる子供だましの誤解に過ぎない。病気は肉体に変化をもたらすだけであって、病気がたとえ治ったとしても死ななくなるわけではない。すべての生物の死亡率は100%であり、死の原因は、生まれてきたこと以外に見当たらないのである。

死神は世界中のどこの国にも様々な姿で描かれている。これは死を擬人化したものであるのでそんなものは存在しないだろうと思ってはいけない。寧ろ私たちは巨大な死神が背後にいつも私たちの命を奪おうと隙を窺っていると思って暮らした方がよいのだろう。この巨大な死神こそが私たちの唯一の友達である。決して私たちを裏切ることなく、殺してくれるいつも私たちと時を過ごし、そして最期の瞬間まで見届けてくれている存在である。

本偈では死んでいくことが避けられず、それは生まれた瞬間からはじまっているkとおを河の流れに喩えている。すべての川は一瞬たりとも逆流することなく、最終的な目的地である海へと向かっているように。私たちは一瞬たりとも死ななくなることはなく、最終的な到達地点である死への道を邁進しつつあるのである。

死神・常に私たちを殺そうと狙っている

本記事は現在世界的に拡大している新型コロナウイルス感染症の早期終結を祈願し、毎日1偈チベットの箴言を翻訳して連載して、配信しているものです。


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