2020.06.04
ལེགས་པར་བཤད་པའི་ཆུའི་བསྟན་བཅོས་ལུགས་གཉིས་རླབས་ཕྲེང་བརྒྱ་ལྡན་

神々と人間の師であると言われる釈尊のことば

『水の教え・波打つ数の二つの教え』を読む・第73回
訳・文:野村正次郎

多くを語ろうと少なく語とうと

意味さえあれば耳は傾けられる

貯水池の大きさがどんなでも

深いかどうかは泳げば分かる

73

空虚な言葉、暴力的な言葉、心の貧しくなるような卑しい言葉が蔓延する。世界が不安定な状況になるのならば、その傾向は大変強くなる。誰かが何かを評価して語っている言葉を増幅させて発言する人たちも多く、今日のネット社会ではそのようなものがよしとされる傾向にある。信憑性の低い情報が大量に発信され、それを受信することに人々は追われている。科学技術の発展は、これまで私たちが聞いたことがなかったほど多くの言葉を耳にし、多くの文章を眼にすることができるようになった。かつては何か疑問なことがある場合には、先人の知恵を参照するために、図書館などにいって古い書物や記録をひもといた。日本にチベットの文献をもたらした先人たちは、命がけでそれらを持ってきた。しかしそれらの努力は今日では必要ない。デジタルな図書館は一気に進み、人と人とのコミュニケーションも、物質に置換えられているものが多くなってきた。

果たしてこのようなすべてが多く語られる時代にあって、短く簡潔な無駄のない言葉遣いというものが、どれだけ意味をもっているのだろうか。人々は答えを求めて検索し、表示された頻度順の情報に、その頻度順に信憑性があると感じ始めている。しかし一方では音楽を奏でたり、舞踏を踊ってみたり、実際の姿とは異なった加工修正をしたデジタルデータも蔓延しはじめたきている。それらは情報を省略し、多くを語るのではなく、少なく語ることで、転送の質量をあげようとする試みであろう。地球の裏側から転送される、こんにちわ、お元気ですか、という挨拶は、無意味な営為ではない。今日でもそれらはあるリアリティをもって、人々に愛されている。

釈尊の説いた言葉にしても、龍樹たちが著したテキストにしても、非常に簡潔明瞭で、無駄のない書き方で書かれたものである。「言葉に依らず意味に依れ」と四拠にはあるが、このことは、二千五百年もの前からいまもなお有効な思考法であることだけは確かである。般若経のもっとも短いバージョンは阿字の一文字しかない。もっとも長いバージョンは十万頌あるものが、この地球上の最大の般若経である。誰かが何かを伝えるために行う、言葉をつかった表現、それは決して冗長である必要はない。その表現が私たちの心にどれだけ多くの残響を残し、それが記憶となり、心の拠り所となるのか、という効果の問題なのであろう。釈尊のことばはいまも世界で最大級の意味をもっている。釈尊は神々と人間の師であると言われているが、その状況はいまも変わっっているわけではない。その言葉を私たちは耳を傾けようとするならば、それを聞くことができる。陳腐な言葉の海に疲弊してしまうのならば、記憶のなかからそれらを引き出しさえすればよいのである。

本記事は現在世界的に拡大している新型コロナウイルス感染症の早期終結を祈願し、毎日1偈チベットの箴言を翻訳して連載して、配信しているものです。


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