2020.04.28
ལེགས་པར་བཤད་པའི་ཆུའི་བསྟན་བཅོས་ལུགས་གཉིས་རླབས་ཕྲེང་བརྒྱ་ལྡན་

大海に泳ぐ亀の話に耳を傾けられるか

『水の教え・波打つ数の二つの教え』を読む・第34回
訳・文:野村正次郎

巨大な国土を見たこともない

辺境の愚者は自国が大きく見える

井戸の水を自慢している亀は

大海の話で死んでしまうのである

34

井の中の蛙というのと同趣旨のものであり、小さくて狭い場所に住んでおり、外側の世界を知らない者は、自分のいる場所がすばらしくよいものであると過大評価しているのであり、実際に外側の世界を知ると自分の不甲斐なさを思い知らされる、という話である。井戸のなかの蛙ではなく、亀の例えとなる。物語は少しずつ異なるものが古くから存在しているがそのうちのひとつを紹介すると次のようなものになる。

昔あるところに、井戸のなかに一頭の亀がいた。ある時海からやってきた亀が来たので、その亀に「あなたのいる水は海といいますが、どのくらいの大きさですか、ここからここくらいまでですか」と自分の井戸の一部分を示して尋ねた。海からやってきた亀は「もう少し大きいですよ」と答えたので、もう少し広い範意を示して「ではこれくらいですか」と尋ねた。すると海からきた亀は「それよりももう少し大きいですよ」と答えた。そこでさらにもう少し広い範囲を示して聞くので「いやいや、それよりももっと大きいですよ」と答えた。こんなやりとりを繰り返していくうちにとうとう井戸のなかの亀は井戸の半径くらいの大きさを示して「んじゃこれくらいですか」と質問する。海からきた亀は、さすがに呆れた顔をして

「大変お気の毒ですが、あなたは何も知らないし、何も分かっちゃいませんよね。そもそもね、海ってのは底も深くて見た目ではどれくらい深いかは分からないですし、広さもどこまで行っても海で無限なものなんですよ。こんな井戸と比べてこのくらいって言うことなんてできやしないんです」と答えたのである。

すると、井戸の亀は、こいつは何とも自意識過剰なやつだ。そもそもこの井戸みたいにでっかい水があるわきゃないだろう。きっと嘘に決まっている。そう思いつつ、

「よしそんなに言うならあなたのところを見に一緒にいってもいいですよ」

そういって二頭の亀は連れ添って海までやってきた。すると海は海から来た亀がいうくらい、大きく井戸の亀は腹が立って仕方なく、心臓がばくばくしてそのまま死んでしまったのである。以上が井戸のなかの亀の逸話である。

この逸話は、閉ざされた社会で閉ざされた情報のみで判断する傾向にある者の危うさを説いている。また同時にそのような者は外部の客観的情報に対して時には感情的な拒否反応をするということをも説いている。海亀は、井戸の亀に同調して海はそんなに広くないと述べればよかったのだろうか。海が底知れぬ深さと無限の広さをもつことは、海の責任でもないし、その客観的な情報を語ることは海の亀の責任でもない。しかし井戸の亀は自意識過剰であるからこそ、それに過剰に反応してしまい、最終的には死に至ってしまうのである。

自分の考えを否定されるような情報を外部である他者から聞くとき、それを冷静に受け止めることは極めて重要である。私たちはすくなくとも井の中の亀のようになるべきではなく、海亀から海の広大さや楽しさを教えてもらい、自分の知っている世のなかよりももっと楽しい世界がある、ということへ耳を傾けることができれば、もっと自分の住んでいる世界は楽しいものとなるのではないかと思われる。


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