2020.03.29
ལེགས་པར་བཤད་པའི་ཆུའི་བསྟན་བཅོས་ལུགས་གཉིས་རླབས་ཕྲེང་བརྒྱ་ལྡན་

恐怖の土石流ではなく、文殊菩薩の妙なる微笑へ

『水の教え・波打つ数の二つの教え』を読む・第7回
訳・文:野村正次郎

悪しき友は四方遠くを駆け回り

ひたすら禍患いばかりを集めてくる

崖から流れ落ちてくる土石流が

澱んだ水ばかりを引き寄せるように

7

本偈は悪友との距離を置かなければならない、ということを説いている。悪友は様々な誘惑をしてくるものであるが、そのすべての行動や言動の根本には煩悩がある。最も私たちが仲良くし付き合っているものは、貪瞋痴の三毒という煩悩であり、煩悩は災いばかりをもたらすものである。これは激しい土石流が泥の水を吸い寄せて、どんどんと激しい濁流になり、時には人々の生命を奪う危険もある様子がここでは説かれている。

本日チベット暦二月五日は、クンキェン・ジャムヤンシェーパ(1648–1721))の遠忌である「クンキェン・ドゥーサン」である。デプン・ゴマン学堂はジャムヤンシェーパの学流の出所であり、ジャムヤンシェーパが創設したアムドのラブラン・タシキル僧院は、アムド地方最大のゲルク派の僧院であると同時に、モンゴル・中国・ロシアとチベット仏教が拡大していった際の拠点となった僧院である。

ジャムヤンシェーパはダライ・ラマ五世から七世の時代まで、すなわち17世紀後半から18世紀初頭の激動のチベットの時代を生きた大学者である。「ジャムヤンシェーパ」とは「文殊の微笑」という意味で、彼が最初にラサのジョカンを参詣した時の故事に因んで名付けられている。

彼の時代に活躍したもうひとりの盟友というか悪友として、私たちは摂政サンギェ・ギャツォ(1653-1705)をあげることができる。ジャムヤンシェーパよりも五歳ほど年下のこの俗人は、グシハーンによって統一されダライ・ラマ五世の保有したチベット全土の統治権を維持するため、ダライ・ラマ五世の死を十五年も隠蔽し、様々な画策を行いつつ、ポタラ宮殿を完成させた人物としても有名である。

摂政サンギェ・ギャツォは、医学・暦学や歴史学にも造詣が深くゲルク派の歴史を綴った『黄瑠璃』や天文学書『白瑠璃』といった著名な作品も残している。1679年、20代後半にして摂政に就任し、その後1703年に失脚し、1705年に殺されるまで約四半世紀、清朝の康熙帝やモンゴル皇帝とめくるめく政治的な駆け引きをしていった人物である。

摂政としての仕事の傍ら、彼はデプン僧院の裏山ゲペル山に暮らすジャムヤンシェーパに絶大な敬意をもっており、度々様々な依頼をしにやってきたと言われている。自分の擁立したダライ・ラマ六世ツァンヤン・ギャツォの教育係を依頼したり、様々な著作の執筆依頼にやってきた様子が伝記では伝えられている。

ジャムヤンシェーパもそれに応え、四十代後半から様々な著作を執筆していった。それらが次第にデプン・ゴマン学堂の教科書となり、チベット文化圏全土に広がるものとなっていった。

摂政サンギェ・ギャツォは何故かジェ・ツォンカパの直弟子ケードゥプジェの学説がどうしても意に沿わなかったようで、ケードゥプジェの学説に批判的な書物を著してもらいたいという趣旨の依頼をジャムヤンシェーパにした。これに応えたジャムヤンシェーパはそのたびにケードゥプジェの学説とツォンカパの学説が、如何に矛盾していないのか、矛盾していると考えることが実に浅はかな解釈であり、その解釈はインド聖典のこういう記述と矛盾するという深い洞察による会通した解釈を提示していった。

ジャムヤンシェーパの新しい解釈は実に見事であり、常に同時代の学者たちから高く称賛されていったので、摂政サンギェ・ギャツォとしても、本来の思惑は常に満たされないがその実力を認めざるを得ない、という事態が継続していった。時が経つに連れて双方の取り巻きの者同士で、確執が深まっていき、最終的にはラサンハーンの事件となりチベットの政情は再び不安定なものとなっていった。

ジャムヤンシェーパと摂政サンギェ・ギャツォの関係は、お互いの存在を認めつつも、常に政治的・宗教的にもある程度の距離を置きつづけた微妙な関係であった。摂政サンギェ・ギャツォは常にジャムヤンシェーパに微笑みかけてやってきたが、ジャムヤンシェーパが文殊菩薩が微笑みかける方向ではなく、摂政の方へと決して振り向くことはなかった。

二人の関係はちょうど日本でいえば秀吉と利休のような関係である。満洲・モンゴル・チベットという三国関係が実に混乱した時代でもあり、同時にイエズス会宣教師がきて西欧との接触もあった時代である。いつの日かこの時代をテーマに誰か時代小説を書いたり、大河ドラマ化・映画化するといいと思う。

怖畏金剛の真摯な実践者でもあったジャムヤンシェーパの学流を学ぶ者たちは、ガードンという護法尊が守ってくれると古来謂われる。ガードンはネーチュンと同じように神託を告げる護法尊であるが、我々日本でジャムヤンシェーパの学流を学ぶ者たちをもきっと守ってくれるだろう。 

クンキェン三父子(デプン・ゴマン学堂問答法苑)
中央上:クンキェン・ジャムヤンシェーパ
左:グンタン・リンポチェ 右:トゥクセー・ガワンタシ

གཞོན་ནུའི་དུས་ནས་སྔོན་སྦྱོངས་བག་ཆགས་སད། །དབུས་གཙང་གཉིས་སུ་མདོ་སྔགས་གཞུང་ལ་སྦྱོངས། །
གོམས་པའི་ཉམས་མྱོང་བསགས་སྲེག་སྣང་བ་ཅན། །འཇམ་དབྱངས་བཞད་པའི་ཞབས་ལ་ཕྱག་འཚལ་ལོ། །

若い時より過去の習気を覚醒し
ウーツァンの両方で顕密の聖典を学ばれて
修習した境地で燦然と光明を放たれる
ジャムヤンシェーパ足を礼拝せん


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