2010.06.02

定例法話会必携

仏と法と最高なる集団に
わたしは菩提にいたるまで帰依いたします
布施などを行じた福徳で
衆生を利益するために私が仏と成らんことを

一切有情が幸せとなり幸せの原因を持ちますように(慈)
一切有情が苦しみとその原因から離れますように(悲)
一切の有情が苦しむことなく幸せから離ませんように(喜)
一切の有情が遠近の瞋貪なき捨という境地に住しますように(捨)

釈尊 如来 応供 正遍知 明行足 善逝 世間解 無上士 調御丈夫 天人師 仏世尊 勝者釈迦牟尼を礼拝し供養せん

二本足の主である君は誕生されたその時に
この大地を七歩歩み給いて説かれた
「我こそはこの世間で最勝なるものなり」と
その時から賢者であった君を礼拝せん 『父子合集経』

清浄なる身体をもちみめ麗しく
智慧の大海は黄金の胎児の如く
三世にその名が轟かれた
この世に得られる最勝なる守護者たる君を礼拝せん
最勝無垢の無比なる相好をもたれ
黄金色に輝ける君を礼拝せん
君のように無礙なる方は三有にはいない
無比なる智慧を有する君を礼拝せん『護國尊者所問大乘經』

守護者たる大悲をもたれる方 一切をご存知になる教主たる君よ
大海の如き福徳を積む福田たる 如来たる君を礼拝せん
清浄によって貪欲と離れさせ 善業によって悪趣から解脱させ
一つにして最勝なる勝義にして 寂静たる正法を礼拝せん
解脱した後に解脱道を説示され 清浄なる学処に正しく住し給い
仏国土の勝れた功徳を持し給う 僧伽を私は礼拝せん

悪業を何もなすべきではない 善業を普く行じなさい
自らの心を統御すること これが諸仏の教えである『七仏通誡偈』

星 眼病 灯明 幻 朝露 泡 夢 稲妻 雲
有為の法とはこのようなものであると考えねばならない『金剛般若経』

この功徳で一切を知る境位を得た後には すべての過失を調伏して
老いや病いや死という濁流の有海より衆生を解脱させんことを

次 『仏母般若波羅蜜心髄経』

聖三宝を礼拝せん

私はこのように一時に聞いた。世尊は王舎城の霊鷲山にて、大比丘の僧集、菩薩の僧集と倶にされていた。
その時、世尊は〝甚深顕現〟という法異門の禅定に等至していた。更にその時、菩薩摩訶薩聖観自在は般若波羅蜜多の甚深行を観じており〝これら五蘊もまた自性によって空である〟と照見していた。
それから仏陀の力によって、幸ある者、シャーリプトラは、菩薩摩訶薩聖観自在に次のように述べた。
「善男子、善女人、彼らが誰であれ、般若波羅蜜多という甚深行を行じたいする者、彼は、どのように学ぶべきなのであろうか。」
このように述べて、菩薩摩訶薩、聖者観自在は幸運者シャラドヴァティの息子に次のように述べた。
「シャーリプトラよ。善男子、善女人、彼らが誰であれ、般若波羅蜜多という甚深行を行じたいと欲する者は、以下のように観じなければならない。
すなわち、これら五蘊はまた自性により空であると正しく観じるのである。
色は空である。空性は色である。色と空性とは異なっておらず、空性からも色は異なったものではない。同様に受・想・行・識は空である。
シャーリプトラよ。そのように一切法は空性であり、無相であり、不生であり、不滅であり、無垢であり、無離垢であり、不増であり、不減である。
シャーリプトラよ。そのようであるので、空性においては色は無く、受は無く、想は無く、行は無く、識は無く、眼は無く、耳は無く、鼻は無く、舌は無く、身は無く、意は無く、色は無く、声は無く、香は無く、味は無く、触は無く、法は無いのである。眼界が無いことに始まり、意界は無く、意識界に到るまでも無いのである。無明は無く、無明が尽きることも無いということに始まり、老死は無く、老死が尽きることも無いのである。同様に苦・集・滅・道は無く、智は無く、得は無く、非得も無いのである。
シャーリプトラよ、そのようであるので、菩薩摩訶薩たちは無得であるので、般若波羅蜜多に依って住している。心には障は無く、怖れは無い。転倒から永遠に超越し、涅槃を究竟している。三世に住し給う一切の諸仏もまた般若波羅蜜多に依止して、無上正等覚を現等覚しているのである。
このように、般若波羅蜜多呪、大明呪、無上呪、無等等呪、一切苦を寂静させる呪、これは虚偽ではないので、真実であると知るべきある。般若波羅蜜多の呪とは次のようなものである。

tadyathā gate gate pāragate parasaṃgate bodhisvāhā.
タッヤター・オーム。ガテー。ガテー。パーラガテー。
パーラサンガテー。ボーディースヴァーハー。

シャーリプトラよ。菩薩摩訶薩はこのように甚深般若波羅蜜多を学ばなければならないのである。」
そこで世尊はその禅定より起き上がり、菩薩摩訶薩聖観自在を善しとされて「善い哉。善い哉。善男子よ。その通りである。汝が示したまさにその通りに甚深般若波羅蜜を行じなければならない。如来たちも随喜している。」
世尊はこう語り給われた。幸ある者、シャーリプト、菩薩摩訶薩聖観自在、一切の周囲に居たもの、天と人、阿修羅、乾闥婆などの世間のものは歓喜して、世尊の所説を礼賛されたのである。
次 道場退魔法

tadyathā gate gate pāragate parasaṃgate bodhisvāhā.
タッヤター・オーム。ガテー。ガテー。パーラガテー。
パーラサンガテー。ボーディースヴァーハー。

聖三宝の言葉の真実の力によって退散せよ。
無くなれ。
寂静たれ。
完全に寂静たれ。
厄障と異品の一切がシャーンティ・クルイェー・スヴァーハー。

ここに永く励むことによって二資糧を
虚空の如く広大に積集せるもののすべてが
慧眼を無明で覆われたすべての衆生たちを
引導する勝者の自在者に我ならんことを

そこに至るまではすべての世を超えて
文殊師利の慈に摂取し給われて
教説の次第すべてを含む最勝道を
証得成就して勝者たちを歓喜せんことを

自らが証解した如実の道の枢要が
強い慈しみによって方便に善巧し
衆生の心の暗闇を払拭することで
勝者の教説を永遠に護持せんことを

教説の最勝なる妙宝が普及していないか
普及したが既に衰退したこの地において
大悲によって悲しみの心が突き動かされ
この利楽の蔵が照らしだされんことを

勝者と子息たちとの稀有なる偉業によって
ここに善く成就した菩提道次第によりまた
解脱を求める者たちの心に栄光が齎され
勝者の偉業が永続して営まれんことを

賢道を編むために順縁を成就し
逆縁を払拭した人と非人とのすべてが
すべての世代を超えて勝者が称讃する
清浄なる道と離れることのなきことを

如何なる時であれ勝乗が十法行によって
正しく成就され精進されているその時に
力を有するものたちが常に助け給われて
吉祥の海ですべての地方が覆われんことを

 

十法行‥‥仏教の基本的な実践方法。書寫(写す)、供養(お供えする)、施他(施しをする)、聽聞(施しをする)、披讀(仏典を読む)、受持(仏典を暗記する)、開演(仏典を講読する)、諷誦(仏典を繰り返し音読する)、思惟(仏典の意味を考える)、修習(仏典の意味を観想する)の十の行為

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