作成日: 2010-07-27 最終更新日: 2017-04-09 作成:事務局

【龍蔵院とは】

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龍蔵院の御縁起

 龍蔵院の御本尊の大聖歓喜天は、御丈五寸五分純金の御姿で、毛利家代々の持仏と言われています。
 天正十七年(1589年)2月26日、毛利輝元(1553-1625)公は広島城を築城するにあたり二葉山から牛田山を通ってに地勢を見ようとしたときに、清水滾々と湧出づる泉があったので、そこで輝元公はしばし渇きを癒そうとそのわき水を飲んだとされています。すると不思議と甘味があり、泉の中を探っていたところ燦然として歓喜天さまが出現されたといわれています。輝元公はこの吉祥を悦びて広島城の築城を決意し、その聖天さまを毛利家代々の守本尊として持仏となされたといわれています。
 以来この聖天さまは何度か場所を場所をかえましたが、昭和初期になり最終的に牛田の地に戻ってこられることとなりました。以来「牛田聖天」として、多くの方に信仰され、参詣者の列は二股川の下まで並んでいたといわれています。特に、夫婦円満・商売繁盛・家業繁栄の霊験あらたかにして、参詣の方々は静かに身を淨めて、心を引きしめてお参りしなければいけないと謂い伝わっております。
 毎月一日、十六日は本尊の御縁日で、朝十時からは高野山真言宗の伝統にのっとった本尊さまのご供養が行われております。

 【宗 派】 高野山真言宗
 【御寺号】 聖天山歡喜寺 龍藏院
 【御本尊】 大聖歓喜天
 【御真言】 おんきりくぎゃくうんそわか
 【御詠歌】 相いだく 歓喜の二天 奥もなき わざの道かな 人を動かす

住職紹介:高橋智運

 1942年京城(ソウル)に生まれる。1945年釜山より引き上げ岡山県真庭市で育つ。1958年安養院主大原智乗大僧正(金剛峰寺第四〇〇世座主)に弟子入りし、高野山高校で学ぶ。1964年高野山大学を卒業し、同大学院へ進学し、『続真言宗全書』『定本弘法大師全集』の校訂編纂に関わる。1965年より高野山高校にて教鞭をとる。1972年より1977年まで総本山金剛峯寺に勤務。
 1977年に前年に本堂が全焼した龍蔵院の住職に任命される。1985年「被爆四十周年世界平和祈願八千枚護摩供養」と共に、龍蔵院の本堂を復興し落慶させる。2000年より総本山金剛峯寺執行・高野山真言宗財務部長として奉職し、同年総本山金剛峯寺を参拝したデプン・ゴマン学堂管長と協議し、自坊龍蔵院をゴマン学堂の日本での活動拠点として提供することとする。2004年7月より、ゴマン学堂第75世ケンスル・テンパ・ゲルツェン師率いるゴマン学堂の僧侶たちが日本で初めての正式なチベット仏教僧院となった「龍蔵院デプン・ゴマン学堂日本別院」を開創。2006年岡山県船穂・高徳寺本堂・庫裡・客殿・護摩堂新築落慶し、日本別院にチベット仏教の最高指導者であるダライ・ラマ第14世を迎える。
 2008年より平塚長楽寺住職を拝命し、2009年より長楽寺平成の大復興事業を進め、2012年長楽寺落慶する。現在は神奈川県平塚市長楽寺住職。

龍蔵院とデプン・ゴマン学堂

 文殊師利大乗仏教会では、2001年よりデプン・ゴマン学堂より来日する僧侶の方々が日本で活動するための拠点として龍蔵院に滞在させて頂き、彼らの活動の拠点となっています。
 2004年7月以降、、ダライ・ラマ十四世法王の教えに従い、この国際平和首都広島の地で昼夜六時、世界平和を祈願し、すべての仏教徒のみなさまの祈りの場、仏教のさまざまな教理の相互理解を深めるための情報交換の場、チベット学研究者のみなさまへの学術情報提供の場となるべく「根本三儀軌」(布薩・夏安居・自恣)ならびにチベット暦に従った各種祭事を勤修する、日本初の正式なチベット仏教の伝統的僧院としての活動を開創する運びとなりました。そしてその活動は「龍蔵院デプン・ゴマン学堂日本別院」と命名することとなりました。
 龍蔵院はその創立以来、すべての仏教徒にとって、既存の宗派、宗義といった枠を越えた信仰の拠り所です。21世紀を迎え、ここにチベット仏教の総本山の別院を設置し、私たち日本人がこれまで知る術もなかったチベット仏教僧院の伝統へ触れることを通して、いまいちど遠いインドの地で仏法をお説きになられた釈尊を追想し、弘法大師をはじめとする私たちの先人たちが入唐求法の旅をなされた不動の信念へと想いを馳せるための祈りの場となったのです。