2016.09.18

地道規定三乗麗厳

ナモー・グルー・ビェー。

地と道の至るところを究竟し、
その次第を教化なされた釈迦王に
敬礼し共劫の人々(1)共劫とは運命を共にするという意味で、自分の時代に自分と同じような境涯をもって生まれてきた人々のこと。自分よりも勝れた弟子であり、このような書物を読まなくても地と道の次第を理解出来る者はこの著作の対象としている読者ではなく、自分と同じようにこのような書物が何らかの意義あるものとして作用するような読者を予想して著作がなされる。を守るため
地道の規定を簡単に著さん。

さて、世間・出世間のあらゆる功徳の基盤であり拠り所たる地と道の規定を解説する前に、まず三士の道の規定を簡単に述べよう。

三士の道の規定

自分のみのために来世の輪廻の増上生(2)天・人に生を受けること。これとは反対に地獄・餓鬼・畜生に生を受けることは「三悪趣」と呼ばれる。のみを主として追及している点で特徴付けられる思、これが殊勝な下士(3)下士には『菩提道燈論』の教学に則って三種を数え、この殊勝な下士とはそのなかでも最高のもの(mchog)のことを指している。の道の定義である。定義基体は、下士の心相続上の死という無常を理解する知、十善を断じる戒などが有る。これらに基づきそれを心相続に有する人を増上生位へ向かわせるものであるので「下士の道」と言われる。

輪廻の円満(4)に心を向けないことを通じ自分のみのために解脱を主として追及する点で特徴付けられる思、これが中士の道の定義である。定義基体は、たとえば中士の心相続の無常等の十六行相を理解する知が有る。それに基づいてそれを心相続に有する人を解脱位へと向かわせるものであるので「中士の道」と言われる。

大悲の支配下であることを通じて他の有情が仏位を得るために一切相智を追及するという点で特徴付けられる思、これが上士の道の定義である。定義基体は、たとえば上士の心相続の大悲、増上意楽などが有る。それに基づいてそれを心相続に有する人を無上菩提へと向かわせるものであるので「上士の道」と言われる。

三士すべてが実践すべきことでもあり、中士道を自己の相続に生み出すために自分自身が先ず意識を変革しなくてはならないという思い、これが中士・下士に共通する道の定義である。定義基体は、死という無常、悪趣の苦を理解する慧などである。上士と中士との両方の実践すべきことでもあり、上士の道を自己の相続に生ぜしめるためにまず意識を変革しなくてはならないという思い、これが中士・上士に共通する道の定義である。定義基体は、無常等の十六行相を理解する知である。

これらの三士の道の次第を心相続に生じる仕方がまた有る。有暇具足は得難く意義深いものであり、これは長く留まらず失われるものであるという様子を思い、今生に現れているものから振返り、後生を追及する思いに作為的ではない経験に到った時に、下士に特徴的な道が相続に生じており、その後に、輪廻の円満はすべて焔に満ちた落とし大きな凹みのようなものであると思い、そこから解脱したいという思いが作為的ではない経験となった時、中士の道が相続に生じたと言われる。その後に、自分だけが輪廻から解放された解脱を得たとしてもひとつの小さな欠点が解消されただけで功徳もほんの一部分にが獲得されただけなのであり、自利も円満ではないばかりではなく、利他もほんの少ししかないののだり、自分の利益のみを目的とするのは、畜生たちにも共通していることであるということを理解し、他の有情を常楽へと導くために、一切相智の階位を主として追及する思いが作為的ではない経験からくるものとなったとき、上士の道が相続に生じているのである。

それでは地と道の規定は一体どのようなものであろうか。これを解説してみよう。これには二つある。地道の一般的な説明・三乗それぞれの地道の個別の規定。

1 共劫とは運命を共にするという意味で、自分の時代に自分と同じような境涯をもって生まれてきた人々のこと。自分よりも勝れた弟子であり、このような書物を読まなくても地と道の次第を理解出来る者はこの著作の対象としている読者ではなく、自分と同じようにこのような書物が何らかの意義あるものとして作用するような読者を予想して著作がなされる。
2 天・人に生を受けること。これとは反対に地獄・餓鬼・畜生に生を受けることは「三悪趣」と呼ばれる。
3 下士には『菩提道燈論』の教学に則って三種を数え、この殊勝な下士とはそのなかでも最高のもの(mchog)のことを指している。
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