2023.06.15

ごあいさつ

弊会は1998年に財団法人東洋文庫の研究員であった前ゴマン学堂長ケンスル・リンポチェを囲み、日本での大乗仏教の理解を一層深めることを目指して発会しました。2001年より本拠地を広島に移し、2003年よりは広島市東区牛田の高野山真言宗牛田山龍蔵院を依所とし、日本の伝統宗派との交流事業をしつつ、チベット仏教のシステマティックな教義体系を紹介する活動を行って参りました。

2004年よりは龍蔵院内に新たに四人の比丘による正式なチベットの僧院として活動するために「龍蔵院デプン・ゴマン学堂日本別院」を開創し、今日までゴマン学堂より数名の僧侶を招き様々な活動を行ってきました。これにより1980年代よりあった“日本にチベット仏教の寺院を作る”という夢は、チベット様式の建造物をもたないけれども、現実にチベットの僧侶たちが日常生活を送っている情報提供の場となることができました。またそれに引き続き、2006年、2010年と二回に渡り、ダライ・ラマ法王をお迎えし説法会などを開催することが出来ました。

2007年初頭よりは我々の指導者であったケンスル・リンポチェ会長がご高齢のため、それまでと同じように長期にわたって日本に滞在することが困難になりました。また同時に砂曼荼羅の制作や灌頂会の開催などといったこれまでの交流事業を見直し、本来顕教のみの僧院であるデプン・ゴマン学堂の本来の活動に相応しい活動へと転換して行くべくダライ・ラマ法王よりご指導をしていただき、そのための努力をしてまいりました。

しかしながら、イベント色の強い事業を減少させることにより外部からの委託事業による収入が激減し、財政状況も逼迫したため、一時活動規模を縮小または休眠した方がいいのではないかとスタッフ一同悩みました。

そこでそのことをダライ・ラマ法王に相談しましたところ「日本で唯一のチベットの僧院としての活動を低迷させてはいけません。日本・チベットの仏法興隆のために一助となるような継続的発展を目指し、みなさんで切磋琢磨しなさい」と激励の言葉を頂戴し、スタッフ一同一念発起して、日本にチベットの寺院が不要となり、参拝者がゼロになるその日までは何があってもやり続けよう、と決意することとなりました。

その後は、このダライ・ラマ法王のご助言を何とか実現するために会の継続的発展と、デプン・ゴマン学堂の後方支援のための活動をすべて見直すこととしました。

まずは2009年夏よりは会員制度改革を行い、一般会員ならびに施主会員という会員資格を策定し、維持運営のために年会費を頂戴することとしました。同時に有料の会員サイトを公開し、より効率的なチベットに関する日本語での情報提供をするべくスタッフ一同努力をしてきました。会員サイトについてはまだまだコンテンツの充実が不十分な点も多々ありますが、日本で唯一チベット仏教の法話を字幕付きの映像コンテンツを配信している独自なサイトとして、多くの方からも好評を頂いております。

同時にケンスル・リンポチェの後継者として、現在のゴマン学堂での最高級の指導者である、クンデリン・ヨンジン・ゲン・ロサン・ツルティム師を日本における指導者として定期的に日本に来ていただき、法話会等を行っていただくことなりました。今年六月の来日の際にも多くの方が、師の伝法を授かる機会を共有できたことは、事務局を運営してきたスタッフとしてもこの上ない慶びです。

新たな指導者となったゲン・ロサン師の講義はゴマン学堂でも非常に人気であり本山の僧侶たちでもなかなか指導を受けられないなか、日本では特別に身近に私たちと接してくださることは誠にありがたく、また会員のみなさまもその機会の貴重さをご理解くださり、会を重ねるたびに参加者も増加する傾向にあることは、ダライ・ラマ法王をはじめとして、インドに居られるケンスル・リンポチェも大変喜んでおられます。

こうして徐々に弊会の活動に対する賛同の輪は拡がり、財政状況も徐々に回復してきてはいるものの、より広い視座にたてば、チベット問題についての状況は殆ど改善されていないのも悲しい事実です。

チベット本土では2008年には大規模なデモが起こり多くの人々が機関銃で殺され、生き埋めにされました。またチベット仏教への抑圧政策は現在も継続しており、日本では東日本大震災の影響であまり報道されてはいませんが、最近でも何も罪もない僧侶たちが突然連行されて行方不明になったり、電話が盗聴されたり、ダライ・ラマ法王を侮辱するよう強制させられています。

チベット中央行政機構(亡命チベット政府)はこうした状況を改善するために、ダライ・ラマ法王にこの問題の解決のための全権を委任し、中国統一人民戦線本部との対話を進めてきました。しかしながら、チベット側が主張する「名実を共にする自治」を実現する日は遠のいて行くばかりであり、両者の対話は断絶しています。

同時にチベット語やチベットの仏教文化は、単なる観光資源や政府間の開発援助の口実に使われ、チベットの人たちが何百年前からインドの大僧院から受け継いできた伝統がいま風前の灯火となっていることには変わりはありません。

チベット・中国の対話は、復活の兆しはまったく見えず、北京オリンピックや上海万博の開催にあたり国際世論の批判をかわすために見せかけの対話を行っただけで、現在もなお「チベット問題など存在しない。ダライ・ラマ一味が国家分裂を画策している」とプロパガンダが宣伝されています。ダライ・ラマ法王の来日に関しても「内政干渉である」とか「ビザを発給するならば考えがある」と恫喝を行い続けています。中国政府はダライ・ラマ法王の崩御後の準備を着々と進め、化身ラマの認定について法律化したり、僧院の運営などといった本来政治とは全く無関係な分野にまでさまざまな画策を行っています。そしてそれに違和感を感じる伝統の担い手を容赦なく逮捕・監禁・拷問・処刑を繰り返してきているのです。悲しいかな、これがかつては大乗仏教の大国であったチベットの現状であり、その状況に改善の兆しはまったく見られません。

こうした状況ではチベット仏教の伝統の保存は不可能ですので、多くの僧侶や学生がインドをはじめ多くの自由な国に亡命を余儀なくされています。仏教文化の保護、次世代への法灯の継承、これらが彼らにとっての現在の緊急課題であり、最大の関心事です。たとえ中国の民主化が実現しても既に半世紀以上も異国の地で継続してきたチベット仏教の僧院教育が本来あるべきチベットの地にもどるためにはまだまだ何十年もかかることが予想されますし、チベット仏教文化の源泉のひとつである、デプン大僧院が現在のインドでの仮住まいを片付けて再びチベットの地に復興されるまでには今後も継続的な国際社会の支援が必要とされています。

1959年の亡命以来、ダライ・ラマ法王はこれまで国家元首としてチベットの民主化をすすめてこられました。最近の六年間は「主席大臣」(カロン・ティパ)に殆どの政治権限を委託し“半分引退した状態”でしたが、このたび三月に今後三年間の主席大臣を選出するチベット人による直接選挙を機会に、ダライ・ラマ五世より四百年間継続してきた「政治と宗教の両方の指導者であるダライ・ラマ」という制度に自ら終止符を打ち、完全なる民主化を実現するために『亡命チベット人憲章』の改正を行うべく、特別総会を召集されました。本年六月にはその総会により正式にダライ・ラマ法王の政権委譲が完了し、去る八月八日には、民主的に選出された新しいチベットの次のリーダーとして、まだ四十代の若い新しい主席大臣ロサン・センゲ氏が誕生しました。

このたびのダライ・ラマ法王の政権委譲には“チベットの民衆の意見を反映したチベット問題の継続的な取り組み”ということと“ダライ・ラマ法王制度の継続”という二つの大きな目的がありました。チベット人の殆どがいままでは「観音菩薩の化身であるダライ・ラマ法王がいつかチベットの問題を解決してくれるだろう」と期待していましたが、一方で“ダライ・ラマ法王がいなくなられたらもはや終わりである”という不安を抱えてきたことも事実です。しかしこのたびダライ・ラマ法王が正式に民主的な政治機構にすべての政治権限を委譲なされたことで、今後たとえ法王が今後不在の時があったとしても、その非暴力と真摯な精神を引き継いで、チベット問題の解決のためにひとりひとりが責任をもって取組むことができるようになるだけではなく、中国政府はチベットの問題をダライ・ラマ法王ひとりを悪の権化とすることができなくなるという効果をもたらします。同時に国際社会の一員である我々も、ダライ・ラマ法王の人気や名声とは無関係に、すべてのチベットの人たちの未来に対して、何らかの関心を継続的にもって取組まなければならないよう期待されています。

今日の状況は大幅な変化の出発点に立っています。だからこそ我々チベット仏教に関わる日本人の活動もいま岐路に立たされているといっても過言ではありません。

こうした状況を鑑みて、弊会もこれまで何ら法的実体もなかった組織を改革し、新たに一般社団法人とすることとしました。これまで何度も宗教法人化を検討しましたが、参拝者が自由に参拝できるような土地や建物をもたないことがネックとなり宗教法人化することができませんでした。また財団法人を目指すということも検討しましたが、特に安定した基本財産もありませんし、余剰財産があればゴマン学堂の生活基金として活用することの方が優先度が高いために財団法人とするのは適切ではないと判断しました。そこで法人の構成員のすべてが法人の護持運営に対して議決権を有する社団法人が現在の我々の会の法人化としては相応しいという結論に達し法務の専門家の意見を取り入れ、まずは「一般社団法人」としてスタートすることとなりました。

法人設立の事務手続き上の簡便さを考え、とりいそぎ私が代表理事として就任させていただきましたが、今後弊会は最終的にはデプン・ゴマン学堂の最高意志決定機関である「十六学寮会議」が継続的に運営してゆけるよう、日本における人的資源、税務上の手続きを整備していく所存です。

当面の私たちの活動は、ダライ・ラマ法王のお言葉をかりるならば“二十一世紀の仏教徒”に相応しいものへと移行していかなければなりません。私たちは現代科学の知識や発展に相応しいことばを使って仏教論理学の伝統や仏の教義を語ることができ、そしてそれを心に抱くことができるようになる必要があります。そのためにはまずはゴマン学堂にあるシステマティックに整理された仏教の教義に関する情報を日本語化し、会員一同がチベット仏教の品質のよいスタンダードな教義に関する情報を共有できる環境を整える必要があります。日本にインド直流の仏教がはいってきたのは、まだほんの最近のことであり、このインド・チベットの仏教の伝灯をどのように扱うのか、ということについてはいまだ手探りの状態です。

同時にチベット問題の完全なる解決には少なくとも何十年も時間がかかるという認識にもとづき、アジアのリーダーの日本人として相応しい継続的な支援活動を行ってゆく必要があります。チベットの問題は我々とは無関係の事象ではありませんし、大乗の教えを受け継ぐ私たちとしては、チベット仏教文化の持続可能な状態を構築するために、次世代への教えの受け渡しの場としてデプン・ゴマン学堂に対する理解と支援の輪をひろげていくことも必要とされています。一般的に日本ではまだチベット問題へ理解度はまだ低く、チベット仏教の学問僧院の継続が大乗仏教の歴史のなかでどのような役割を果たすのかということについて充分な理解をもっている人が殆どいないのが現状です。私たち縁あってデプン・ゴマン学堂に関わるすべての人が、圧政に苦しみ信仰をねじ曲げられている人々の声を代弁できる責任ある仏教徒となることが求められています。

また現在の日本の仏教をめぐる様々な事象に違和感を覚えている人が多いのも事実です。私たち日本人はいままでインドから遠く離れた島国で暮らし、第二次世界大戦後の経済成長は宗教に対する先天的な嫌悪感を社会に蔓延させました。「政治と宗教」というのは日本のコミュニティにおいてはタブーであり続け、死について語ることすら縁起が悪いと避けてきたのです。その結果、日本人の平均的な仏教に関する知識はほかの仏教国の平均的な知識にくらべて圧倒的に劣っているのが現状です。ほとんどの日本人が意味も分からずに葬儀や法事に関わっています。悲しいかな、いま日本では仏教のことは仏教に一生を捧げている人が暮らしている御寺で師匠から教えていただくのではなく、本やテレビで面白おかしく自分勝手に学ぶ時代になっているのです。

何百年も継続してきた伝統的価値観や智慧を失った日本人の多くが道に彷徨い、現在自分がたっているその場所すら確認できない場合も多々見られます。この状況は決して自然現象なのではなく、我々日本人ひとりひとりが作りだした問題なのであり、そしてそれを改善するための責任も我々日本人ひとりひとりが担っているのです。大乗仏教の伝灯についても、我々はそのすべてのことについて関心をもち責任を担って行く必要があります。ダライ・ラマ法王が「グローバルな責任感」と説かれているのはまさにこのことにほかなりません。

チベットの人たちは、自分が本来住んでいる場所を追われたり、家族を突然に殺されたり、密かに心のなかで信仰する諸仏や祖師たちの世界まで政治的に侵蝕されながらも、常に一切衆生が苦しみから逃れ、解脱と一切相智の位に速やかにたどり着かんことを、まさに命をかけて祈るしかない状況におかれています。それに比べて、我々日本人の大乗仏教徒は、様々な物質的発展を恣に享受し、さまざまな社会福祉の精神によって整備された法制度や社会制度によって手厚く守られて暮らしています。

ダライ・ラマ法王は2006年の法話会で「日本人や中国人はチベット人から比べたら大乗仏教徒として先輩にあたります。チベット人は後輩です。現在チベット人は大きな苦境に立たされています。ですから私たちチベット人は先輩のみなさまに、仏法興隆のために両手を合わせて、心より今後の未来をよろしくお願いします」とおっしゃいました。法王の教えに従う人に関わる私たちは、このチベットの偉大なる法王の言葉と願いをかみしめて引き継ぐ必要があります。そして私たち日本人だからこそできることが私たちの眼の前に山積しているのです。

今回の法人化にともない、これまでの施主会員のすべての方に、弊会の運営に関する意思決定を行う総会にての議決権をもっていただくこととしました。これはひとりひとりの会員のみなさまに、チベット仏教を代表するデプン・ゴマン学堂の僧侶たちが日本においてどのような活動をしたらいいのか、我々日本人にとって本当に必要な活動が一体何なのであり、亡命を余儀なくされているチベット仏教の状況に一体どのような貢献ができるのか、ということを真剣に考えて欲しいと思ったからです。もちろん仏教の教義上の問題については、ゲシェーたちの豊富な知識が有効活用できるはずです。みなさまの議決権を彼らに委託することもできます。ただ彼らはみなさんの疑問に応えるために日本に滞在しているのであり、彼らのもつ巨大な情報量をこの日本でどのように活用できるのか、ということについてはみなさんひとりひとりの議決にかかっています。

飛鳥時代以来、日本は仏教の智慧をとりいれて様々な独自の発展を繰り返してきました。決して何かを排除するという形ではなく、すべてのものを折衷するという形で日本の文化は形成されてきました。いま過去何百年も夢みた天竺インドの仏教の伝灯を引き継いでいる日本人の我々が築いてきた現代文明の智慧と、ヒマラヤのチベットで大切にされてきた仏教の智慧とを合わせて、この「二十一世紀の日本の大乗仏教徒」がどこに向かうべきなのかの岐路にたっています。その答えはもちろん個々に異なるものですが、彼らを媒介として新しいスタートを迎えることができることだけは間違いないでしょう。そしてそのことに私たちは密接に関わっています。

二十世紀の文明の発展は地球を狭くし、どこにでもすぐに飛行機でたどり着ける社会を実現しました。しかしながら文化のギャップや知識の共有、そしてそこから生まれる知性をベースにしたコラボレーションについてはまだまだ課題は山積みです。

仏教徒として明日をも知れぬ命を生き、この先我々の生きた痕跡をどこに刻むのか、そのスタイルを共有する会として今後我々の会は、法人としての人格を有する団体として成長していかなればなりません。そしてそのために会員のみなさまのひとりひとりがその人格形成の一端を担っていただけますようお願い申し上げます。

私たちの次の世代、そして次の世代に一体どのような日本語での大乗仏教世界を残して行けるのか、そしてその活動を通じて我々が大切にする我々の周りの人々にどのようなものを残せるのか、このことを共に考えて行きたいと思います。

私の師でもあり弊会の創始者であるケンスル・リンポチェはある時こうおっしゃいました。

「仏教をともに学ぶ友は、善い友です。仏教を学ぶことが世界平和にも繋がるのですし、個人の幸福もそれによって実現します。仏教を学ぶ時、諸仏や諸尊は助けてくれるのですし、仏さまに会いたければ、思えば瞬時にしてその場にきてくれて助けてくれます」

私たちの会というものは、この言葉で形容されるもの以外の何ものでもないと思います。

ゴマン学堂から来てくださる僧侶たちは、常に“仏たちの時”と〝現代の時〟というふたつの時を刻んで生きています。彼らにとっての後者の“時”は我々日本人が過ごしている“時”にくらべると決して幸せなものとはいえないでしょう。しかし我々が忘れかけそうになっている“仏たちの時”を生きる生き方を実際に教えてくれます。この活動が我々のこの人生でかけがのない“時”を刻んでくれるものであると私は確信しています。

みなさまが新しい“時”を刻めるようにスタッフ一同今後とも精進してゆきたいと思います。

今後とも変わらぬご支援とご鞭撻を賜りますよう心よりお願い申し上げます。

末筆ではございますが、みなさまのご多幸をお祈り申し上げます。

敬 白


RELATED POSTS