2012.06.01

サカダワ

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「今日は4月の5日ですよ」

という、ゲンギャウさんとの電話で、初めて今がサカダワなのを知りました。サカダワは釈尊がお生まれになり涅槃にはいられ、成道されたとされる月。善業を積むのにもってこいの時です。出来ることならお坊さんたちのように肉断ちをしたかったのですが、ここ数日お肉も食べてしまったし、仕方が無いなと気持ちを切りかえて、「サカダワはどうして過ごせばいいですか?」とゲンギャウさんにお聞きすると、

「心を正すことが第一です。何をするにしても心を正しくもってください。そしてお経を出来るだけ読めるといいですね」

との答えが返ってきました。確かにお経をたくさん読めればいいのですが、普段は忙しい生活に追われて、なかなか時間を持つことができません。なので、泣き言のように「時間がないです」と言うと、

「では、真言を唱えるといいですよ。ご飯を作ってるときでも、歩いているときでも、『オンマニペメフーン』は唱えられるでしょ?」

と素敵なアドバイスをいただきました。

街で生活しているチベットの人たちは、外食が中心なため、なかなか肉断ちすることは難しいです。それでも、15日の日だけは出来る限り肉を食べないようにみな心がけます。コルラをして、お経を唱え、布施などを行って、みな普段以上に善業を積むことに務めています。

しかし、先日サカダワと同時に、またもやラサで僧侶が自らの身体に火を放つという悲しい出来事が起こりました。日本人である私たちには感覚的にわかることができませんが、チベットはとても厳しい状態が続いています。表面的には観光客たちで賑わい、明るく見えますが、その裏では厳しい締め付けのもと、怒り、恐怖、懐疑心がうずまいています。日本では「壁に耳あり障子に目あり」と言うように、チベットでは「昼間は全てのところに目が、夜は全てのところに耳がある」という言喭があるそうですが、まさにそのような状態です。

しかし、外の環境を変えることは容易には出来ません。ならば、荊の路を進めるように、己の心を皮の靴で覆うしかありません。苦しみは、法を行う助けになりえます。敵がいなければ、忍辱の修行を行うことは出来ません。

今はサカダワ。国それぞれ、人それぞれによって、環境も違い、受ける苦しみも違います。しかし、それぞれの人が、それぞれの苦しみを善業を積むチャンスに変えていければ、どんなに素晴らしいことでしょう。

心を正しく保ち、他を害することなく、心穏やかに。


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