作成日: 2010-03-27 最終更新日: 2016-09-23 作成:事務局

【G1 発心した後に所学を学ばなければならない理由】

このように願心を発した後に布施などの所学を学ばなかったとしても、先に引用した〔『華厳経』入法界品の〕「弥勒解脱」の聖言に説かれるような大いなる功徳(1)『華厳経』入法界品。大正 No. 278, 779c-780a: 善男子よ。譬えば、ダイヤモンドは、粉々に砕け散ってしまうとも、一切の優れた金の宝飾品を猶圧倒して、ダイヤモンドという名前をも棄てることもなく、ありとあらゆるすべての貧困を取り除くだろう。善男子よ、このように一切智へと心を起こすならば、たとえ努力を欠いたとしても、声聞独覚の功徳という黄金の宝飾品を圧倒するのであり、菩薩の名を棄てることはなく、ありとあらゆる輪廻という一切の貧困を退けるのである。が有ることは有るが、しかしながらもしも菩薩の所学を成就することに専念しなければ、成仏することはあり得ないので、菩薩行を学ばなければならないのである。すなわち『三昧王経』では、

それゆえに、成就に専念すべきなのである。それは何故だろうか。青年よ、成就に専念する者にとって、無上正等覚を獲得することは困難なことではないからである。

と説かれている。

『修習次第初編』でも、

そのように発心した菩薩は、自らを律しなければ、他者を律することなどできないことを知り、自分自身が、布施などを成就することを全うしようとするのである。それらを成就することなしには、菩提を獲得することなどないのである。

と説かれているのである。〔菩薩行を〕成就するということはまた、〔菩薩〕律儀を守った上で、その所学を学ぶことにほかならない。

注釈   [ + ]

1. 『華厳経』入法界品。大正 No. 278, 779c-780a: 善男子よ。譬えば、ダイヤモンドは、粉々に砕け散ってしまうとも、一切の優れた金の宝飾品を猶圧倒して、ダイヤモンドという名前をも棄てることもなく、ありとあらゆるすべての貧困を取り除くだろう。善男子よ、このように一切智へと心を起こすならば、たとえ努力を欠いたとしても、声聞独覚の功徳という黄金の宝飾品を圧倒するのであり、菩薩の名を棄てることはなく、ありとあらゆる輪廻という一切の貧困を退けるのである。