J1 大乗道の根幹は悲心であるとの説示


Created: 2010-03-27 Last updated: 2016-09-23 Author:事務局

I1には三つ。K1初時における重要性、K2中時における重要性、K3後時における重要性。

K1 初時における重要性

大悲で心が揺れ動くのならば、一切有情を輪廻から救い出そうと必ず決意することとなる。もしも悲心が弱ければ、そのようなことを為そうとはしない。だからこそ衆生を余すことなく解脱させる責務を担おうとするのかどうかとは、それ (悲心)〔があるのかどうか〕に依っている。またその責務を負おうとせずしては大乗へと入ることはできない。したがって悲心とはまず初時において重要なのである。

 『無尽慧所問経』にも、

シャーラドゥバディ・プトラ(シャーリプトラ)尊者よ、また菩薩たちの大悲心は尽きることのないものである。それは何故かといえば、“先行するもの”であるからである。シャーラドゥバディ・プトラ尊者よ、これは次のようなことである。たとえば息を出したり吐いたりできることは、人間の命根に“先行するもの”であるが、それと同様に菩薩の大悲心とは、大乗を正しく成就することに先行するものなのである。Ārya-Akṣayamatinirdeśa-nāma-Mahāyānasūtra. DK175, ma 132a5-6, Taisyo 13 No. 397.

と説かれるのであり、また『伽那山頂経』でも、

「文殊よ、菩薩たちの行のきっかけは何であり、その場所は何処においてであろうか。」文殊は語った。「天子よ、菩薩たちの行のきっかけとは大悲であり、その場所は有情においてである。」Ārya-Gayāśirṣa-nāma-Mahāyānasūtra. DK109, ca 286b3-4.

と説かれているのである。

K2 中時における重要性

 このように一度そのような心が起こり働いたとしても、〔利益すべき〕有情は無数であり、〔彼らの〕行も悪しきものであり、〔たとえ教えても学ぶべき〕学処もまた極めて行じ難いものであり無数にあり、時間的にも無量の時が必要となるのである、そう見るのならば、落胆し怖じ気づいて小乗へと堕してしまうかもしれない。しかしながら、大悲を一度起こしただけに留まらず、それを増大させ修習することにより、自らの楽苦を顧みず利他を厭わなくなるのであり、そのことによって一切の資糧を容易く全うすることとなるのである。

K3 後時における重要性

 また諸仏たちが果位を得た時、小乗の如く寂静に住することなく、虚空無辺の衆生を利益なされるが、これもまた大悲の力なのである。何故ならば、それが無ければ声聞に等しくなってしまうからである。たとえば収穫を得るためには、最初に種子が必要であり、中間では水が必要であり、最後には熟成が必要であるのと同様に、諸仏という収穫を得るためには、初・中・後に重要なものは悲心であるとシュリー・チャンドラキールティがおっしゃっているのである。

 このようなことが理由となって、シャンナ・チュントンパཞང་སྣ་ཆུང་སྟོན་པ་ がジョウォに教誡を御願いしても「世間の心を捨て菩提心を修習しなさい」としかおっしゃらなかった時に、ゲシェー・〔ドム〕トンパは微笑まれ「ジョウォの教誡の核心を賜りましたね」とおっしゃっり法の枢要を解されたのである。

 〔こうした大悲心の重要性についての〕確信を得るというこのことだけですら極めて困難であるので、何度も何度も積善浄罪をなし、『華厳経』等の教説とその注釈などを読み、堅固な確信を追求しなければならないのである。シュリー・マティチトラ(アシュバゴーシャ)は〔『百五十讃』Śatapañcakastotra. DT1147. 110b6-7}で〕

君の御心は宝にして 正等覚の種子である
栄ゆる君のみぞ要と知り 余人の及ぶに能わない

と説かれている通りである。