作成日: 2010-01-19 最終更新日: 2016-09-23 作成:事務局

L8 五蘊盛苦について

以上をまとめて「五取蘊は苦である」と説かれていることの意味についても五つある。¥ajKakko{1}表面化してくる苦の器であり、¥ajKakko{2}表面化したことにより起こってくる苦の器であること、¥ajKakko{3}苦痛の苦しみ(苦苦)の器であること、¥ajKakko{4}変化の苦しみ(壊苦)の器であること、¥ajKakko{5}遍在する苦しみ(行苦)の本質であること、これらのことを何度も何度も思うのである。
これらのうち¥ajKakko{1}は、五取蘊を受けるたことに基づいて生じるものであり、それ以降の苦しみを導きだすものである。¥ajKakko{2}は、既に蘊が成立していることに依って起こる病・老など拠り所であることである。¥ajKakko{3}¥ajKakko{4}はその二つの苦しみが麁重を受けることにしたがってその二つが起こるのである。¥ajKakko{5}は取蘊が成立したそのことだけにより、行苦の自性として生じることである。何故ならば、過去の業と煩悩になすがまなまになっている一切の行は、行苦であるからである。
取蘊を自性とする輪廻に対する真の嫌悪感が生じなければ、解脱を追及する真の心が生じる基盤は無く、輪廻を徘徊する有情たちに大悲が生じる術も無い。それゆえに、大乗・小乗のいずれの門に入るとも、これらの〔八苦などに対する嫌悪感の〕思いは極めて重要なのである。

以上をまとめて「五取蘊は苦である」と説かれていることの意味についても五つある。(1)表面化してくる苦の器であり、(2)表面化したことにより起こってくる苦の器であること、(3)苦痛の苦しみ(苦苦)の器であること、(4)変化の苦しみ(壊苦)の器であること、(5)遍在する苦しみ(行苦)の本質であること、これらのことを何度も何度も思うのである。

これらのうち(1)は、五取蘊を受けるたことに基づいて生じるものであり、それ以降の苦しみを導きだすものである。(2)は、既に蘊が成立していることに依って起こる病・老など拠り所であることである。(3)(4)はその二つの苦しみが麁重を受けることにしたがってその二つが起こるのである。(5)は取蘊が成立したそのことだけにより、行苦の自性として生じることである。何故ならば、過去の業と煩悩になすがまなまになっている一切の行は、行苦であるからである。

取蘊を自性とする輪廻に対する真の嫌悪感が生じなければ、解脱を追及する真の心が生じる基盤は無く、輪廻を徘徊する有情たちに大悲が生じる術も無い。それゆえに、大乗・小乗のいずれの門に入るとも、これらの〔八苦などに対する嫌悪感の〕思いは極めて重要なのである。