作成日: 2010-03-21 最終更新日: 2016-09-24 作成:事務局

【C1 教えを聴聞することの功徳について考える】

聴聞についてまとめた〔『ウダーナ・ヴァルガ』の一節〕に

聴聞によって法が知られる。聴聞によって罪障が断じられる。聴聞によって利益にならないことが捨てられる。聴聞によって涅槃が獲得される。」

とある。〔この〕四行〔の詩節〕によって次のことが説かれている。すなわち、

  • 聴聞によって順次に取るべきものと捨てるべきもの〔の区別〕が知られること
  • 〔それを〕知った後、悪行を慎む持戒が生じること
  • 次に利益にならないことを退けて、善の所縁(認識対象)へと心を思い通りに定める三昧が生じること
  • 次に無我の真実を理解する慧学によって輪廻の束縛の根源が断ち切られ、解脱が得られるということ

である。『ジャータカ』にもまた、

「ある〔教えを〕聴聞することによって信仰心が起こり、喜びに満ち、安定した状態となり、智慧が起こり、愚痴(無知)がなくなるならば、自らの肉体と引き換えにしてでも、その〔教え〕を買い求めるべきである。聴聞された〔その教え〕は愚痴という闇を払拭する灯火であり、盗人等でも持ち去ることのできない最高の宝であり、迷妄という敵を滅ぼす武器であり、方便を教示するものとして最高の協力者である。〔その聴聞された教えは〕たとえ没落しても変わらずにいてくれる友であり、憂いや病を癒す無害な薬であり、大きな過失の軍勢を滅ぼす最強の軍隊であり、最高の名声と栄誉と宝庫である。聖者達に出会ったときに最高の贈り物となり、集会の中で学者達を喜ばせるものであり(…中略…)聴聞された〔教え〕に従い実践することを大事にする者は、輪廻的生存という〔敵国の国境の〕要塞から難なく逃れることができる。」

と説かれている。〔教えを聴聞する弟子は〕これらをはじめとする諸々の聴聞の功徳を繰り返し思念することについて心の底より信解(希求する気持ち)を起こす〔べきである〕。〔『優陀那品』〕の「聴聞の偈頌」には次のように説かれている。