作成日: 2010-01-11 最終更新日: 2016-09-23 作成:事務局

【C1 説法の功徳を思う】

『倶舎論』には

法施謂如實 無染辯經等
法施は有染汚ではない 故に経等を正しく説く

とあり『自注』では

故有顛倒或染汚心求利・名譽・恭敬辯者、是人便損自他大福。

それゆえに、法を誤って説明したり、有染汚の心を求めたり、財産や名誉を求めて説法することは自分自身の大いなる福徳を損なうことになるのである。

と説かれているので、説法に際しては清浄なる動機というものが極めて重要となる。

昔ゴンパ〔〕は「私はひとつの法座たりとも無常を前もって修習しないで説法したことは未だかつてありません」とおしゃったように、まず前もって動機を浄化することは極めて重要なのである。財産や名声を顧みず、法施を与えることには、二十功徳があると『勧増上意楽』では説かれており、『郁伽長者所問経』}にも在家の者が施しを無量にするよりも出離した者が法を一句だけでも施す方が福徳より勝れたものなのであると説かれている。