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MMBA | 文殊師利大乗仏教会 | E3 教示された事柄を薬のようなものであると想う

E3 教示された事柄を薬のようなものであると想う


作成日: 2010-01-11 最終更新日: 2016-09-23 作成:事務局

病人は医者に処方された薬をとても大事にするものである。それと同様に、〔弟子は〕説法師が仰った教授と教誡を重要視して、大きな努力を払ってでも大事にし、忘却することなどによって無駄にしてしまうことのないようにするべきである。

教授(གདམས་ངག་)—解脱への道を誤りなく示す正しい言葉—には二種のものがある。すなわち、教えを実際にもたらす教授(གདམས་ངག་པའི་གདམས་ངག་)と教誡としての教授(རྗེས་བསྟན་གྱི་གདམས་ངག་)とである。前者はある事柄に関する知識を最初にもたらす言葉であり、後者は既に理解した事柄についての理解を深めさせてくれる言葉である。今の本文に現れる「教授」という語は前者の意味での教授のことを指しており、「教誡」という語は後者の意味での教授のことを指している。例えば、ある教えを通じて無我の真実についての理解が起こるならば、その教えは「教授」である。そして、既に無我の真実を知っている者がある教えを通じてその真実に関する理解を一層深めることができるならば、その教えは「教誡」である。