B3 功徳を具足なさり教説に対する所行をなされた次第


Created: 2009-12-20 Last updated: 2016-09-24 Author:事務局

教説に対するどのような所行をなされたのかということについてインドにおける御業績とチベットにおける御業績との二つがある。

インドにおける御業績

〔ブッダガヤの〕金剛座の大菩提寺で、悪しき外道の論者たちを三たび仏法によって論破され、仏説をお守りになられた。また上下の自派の教説に対する無理解、誤解、猜疑心などの悪しき垢を取り除かれ、教説を広隆された。このことで、すべての部派によって宗派を問わず宝冠の荘厳とされることになった。

チベットにおける御業績

〔グゲ王朝の〕ラマ王の師弟 (イェシェーウーおよびチャンチュプウーのこと)が訳経師ギャ・ツォンドゥー・センゲ(rGya brthon ‘grus seng ge ─1041)とナクツォ・ツルティム・ギャルワ(Nag tso Tsul khrim rgyal ba 1011─1064)の二人を順次インドへと派遣された。大変苦労なさり何度も招聘を要請し、チャンチュプウー(Byang chub ‘od)の時代に、ようやく招聘がかない、ガリー・トゥー地方へお越しにならることとなった。そこで仏陀の教説の復興をなさるように要請申上げたことにより、すべての顕密の枢要を集積し実践の次第として編集した聖典『菩提道灯明』を著されることなどで教説を広隆なされたのである。

その後、〔この師アティーシャは〕ガリー(mNga’ ris)に三年、ニェタン(sNye thang)に九年、ウーツァン(dBus gtsang)のそれ以外の場所に五年滞在なさり、賢き劫を有する〔チベットの〕者たちに対して、顕密の聖典と教誡を余すことなく教示された。〔ランダルマ王の破仏により〕教説の伝統が滅びてしまったものを再開し、若干残っていたものは再び興隆された。誤解の垢にまみれていたものを善く除かれ、教法という宝を穢れから離すようになされたのである。

概して牟尼の密意を明らかにする聖典を著作するにためには円満なる三つの条件が必要である。それはすなわち、(一)このように所知である五明処に通暁していること、(二)それらの意味を実践するための枢要たる教誡たる、正等覚より始まり勝れた人々によって間断なく師資相承されてきた口訣を保有していること、(三)本尊の尊顔を拝し許可法を得ていることである。これらのいずれかひとつがあるだけでも聖典を著すことは可能であるが、三条件がすべてそろっていれば、さらに円満なものとなる。この大阿闍梨はこの三つの条件すべてをおもちになられていた。

本尊によって許可されていたことについては『礼讃』に、

吉祥なる呼金剛と立三昧耶勇猛王と 観世間自在天と
主尊救度仏母ターラーなどの 御顔をご覧になり許可を得ていたので
夢のなかにいたるまで彼らの御前にて 甚深と広大なる正法を常に聴聞なされた

と説かれている。

師資相承についてのは共乗・大乗相承譜との二つがあるが、後者には波羅蜜多乗と真言乗との二つがある。前者には、甚深見の相承と広大行の相承との二つがある。後者には弥勒より相承したものと文殊より相承したものとの二つがあり、合計で三つの相承譜がある。真言乗にもさらに五流の相承譜があり、学説の相承・加持の相承・様々な教誡の相承譜など多くの相承がある。これらの相承譜を御持ちになり、直接聴聞した師としては、『礼讃』に

常に師事なされたグルとしては シャーンティパ スヴァルナドヴィーパ
バドラボーディ ジュニャーナシュリーであった
悉地を得た多くの方々からあなたは相承されていた
特には龍樹より一子直伝の相承たる甚深と広大の教誡を御持ちであった

と説かれる通り、悉地を得ていたグルは十二人居られたと知られているが、これ以外にも多くの師が居られたのである。

五明処に通暁しておられた様子については先程説明した〔ので、ここでは繰り返すまい〕。以上のようなことからこの阿闍梨は勝者の密意を正しく確定できたのである。

このような〔偉大な〕阿闍梨であったので、このお方にはインド、カシミール、オッディヤーナ、ネパール、チベットのそれぞれにおいて計り知れないほどの弟子が居られた。そのなかでも主要な方としては次の方々が居られる。

まずインドにおいては、この師に智慧が等しい大パンディタ・ビトーワ(Bitoba)、ダルマーカラマティ(Dharmākaramati)、マディヤシンハ(Madhyasinha)、クシティガルバ(Kṣitigarbha)の四人である。ミトラグフヤ(Mitraghya)を加え五人とする説もある。次に〔チベットにおける主要な弟子として出身別に分けると〕ガリー出身者には、ロツァーワ・リンチェンサンポ(Rin chen bzang po 958─1055)、ナクツォ・ロツァーワ(Nag tso Tsul khrim rgyal ba 1011─1064)、ラマ王帝チャンチュプ・ウー(Lha bla ma Byang chub ‘od)が居る。ツァン出身者には、ガルゲーワ(’Gar dge ba)、グー・ククパ・レーツェー(’Gos khug pa lhas btsas)が居る。ロダク出身者にはチャクパ・ティチョク(Chags pa khri mchog)とゲワキョン(dGe ba skyong)が居る。カム出身者には、ネルジョルパチェンポ(rNal ‘byor pa chen po 1015─1077)、ゴンパワ(dGon pa ba 1016─1082)、シェーラプ・ドルジェ(Shes rab rdo rje)、チャクダルトンパ(Phyag dar ston pa)が居る。ウー出身者には、クトン・ツォンドゥー・ユンドゥン(Khu ston brTson ‘grus g-yung drung 1011─1075)、ゴク・レクペーシェーラプ(rNgog Legs pa’i shes rab)、ドムドンパ・ギャルウェーチュンネー(’Brom ston pa rGyal ba’i ‘byung gnas 1005─1064)が居る。これらの弟子たちのなかでも師〔アティシャ〕ご自身の御活動を広げられた偉大なる後継者は、救度仏母ターラー菩薩より授記を受けたドムトンパ・ギャルウェーチュンネーである。

以上偉大性を簡単に纏めてみたが、詳しくは〔師兄アティーシャの〕『大行状記』より知るべきである。