作成日: 2009-09-24 最終更新日: 2016-09-23 作成:事務局

C1 聖言の功徳を具足されたこと

御歳二十一の時までに、外道と仏教との両方に共通した〔科目である〕声明・因明・巧明・医明といった四明処を修得なさり勝れたお方となられた。そのなかでも特に御歳十五の時〔ダルマキールティの〕『正理滴』をひとたび聴聞なされただけで、外教徒の有名な論理学者と問答されて、彼を打ち負かされたので、その名声は周知のものとなった。このことについてはドルンパ・チェンポによって説かれている。

その後〔王舎城の〕黒山寺院(カーラシーラ)で瑜伽自在者呼金剛とお会いになられ、金剛空行母の授記を得て、グル・ラーフラグプタにより灌頂をすべて授かり、密名を「ジュニャーナ・グフヤ・ヴァジュラ」(Jñānaghyavajra 智密金剛)と拝名した。

御歳二十九歳の時、悉地を得られて、多くの師に師事して金剛乗をお学びになられた。聖典と口訣に余すことなく通暁されて「私もかなり密教に精通した」と思われるようになられたが、ディーカマたちが過去には誰も見たことのなかった、多くの真言の経帙を夢のなかで示され御慢心も癒えられこととなった。

その後、グルや本尊たちが、直接的にも夢のなかでも、「出離して、教説と多くの衆生を広大に利益される」と勧められたので、大衆部の阿羅漢、大持律者シーララクシタśīlarakṣitaと呼ばれる、加行道の実義に一部入った禅定を得られているお方が戒師を務められ、出家なされたのである。そして「シュリー・ディーパンカラジュニャーニャ」Śrī-Dīpamkarajñānaと拝名なされた。

その後三十一歳までに、顕教乗の上下の内明蔵を学習され、特に『阿毘達磨大毘婆沙論』をダルマラクシタ大師御前のもとで、オタンタプーリに於いて十二年聴聞なされた。根本四部の聖典に通暁したので、それ以外の部派のものたちの供物の受け取り方などの取捨すべき微細な項目についても混同することなく理解された。