2012.10.30

ものを少なく、心で楽しい旅を

厳しい表情で法王の教えを聴聞されるゲン・ロサンとケンスル・リンポチェ 2006年宮島

厳しい表情で法王の教えを聴聞されるゲン・ロサンとケンスル・リンポチェ 2006年宮島

ゲン・ロサンが再び日本に来てくださった。インドではじめてケンスル・リンポチェの紹介でゲンにお会いした時には、まさかこんな素晴らしい先生がこのように毎年日本に来てくださるとは思ってもいなかった。ゲン・ロサンはゲルク派の総本山の代表的な先生である。

昔ケンスル・リンポチェの代わりに説法に来て欲しいと何度かお願いした時には、ゴマン学堂から断られた。もちろん日本という場所は軽視するわけではないが、チベット仏教の伝統の継承のためにはなくてはならない存在であり、インドに必ず必要な先生であるからである。

ゲンの講義にでたい学生はいまも山のように居る。受講希望者はあまりにも多く、朝から晩まで約一日十二時間は、ぎっしりと講義が詰まっている。最近は新しい仏典の講読は断らざるを得ない状況である。ダライ・ラマ法王より任命されているクンデリン・リンポチェの家庭教師としてのお立場もある。クンデリン・リンポチェは、ジェ・ツォンカパの御弟子のバソ・チューキ・ゲルツェンの化身であり、伝統的にダライ・ラマ法王不在の時に摂政として宗教的指導者になるべき立場にある。

そんなゲン・ロサンを日本にお迎えできるようになったのは、ケンスル・リンポチェの一番弟子であるということ、そしてダライ・ラマ法王からのお許しを頂いたというこの二点しかない。ゴマン学堂の多くの学生の講義を一時中断していただき、日本の仏教興隆のためには、チベットで最高峰の学者にその生きた最高峰の伝灯を味わっていただきたいからである。

今年の来日は過去二回にわたる来日と大きく意味が異なっている。以前は病床にあったケンスル・リンポチェのあくまでも代理として来てくださった。しかし、今年からは我々の宗教的な指導者としての来日である。ケンスル・リンポチェの教えがこれから引き継がれるのである。

そんなゲン・ロサンを福岡空港にお迎えにいった。早朝に到着する便であったので、前の日から福岡に入り、朝空港までお迎えにいったところ非常に驚いた。ゲンはとても気さくな方なので、いつも我々が物販などをする際のグッズなどを持ってきてくださるのであるが、今回は特にお願いしなかったかせいか、小さなリュックがひとつだけである。

「ゲン、荷物って、たったそれだけですか?」

ゲンのリュックはバックパックでもない。普通のちいさなリュックである。前の日に一晩だけ宿泊した私のリュックよりもはるかに小さい。私の荷物も書類、着替え、翻訳中のテキスト、校正するためのプリントという最小限のものしかなかったが、これから一ヶ月も滞在されるゲンの荷物の方がはるかに少ないのである。この違いが、我々俗人と、仏の教えに生きる人との圧倒的な差なのである。

少ない荷物に驚いていた私にゲンはやさしくこうおっしゃる。

「えっと、何か要るものがあったけ?特に何も頼まれなかったからこれだけなんだよ。」

確かに何も必要ない。僧衣と少々の着替え、そして講義につかうテキスト。ゲンにとってはそれ以外の何も要らない。多くの仏典やその解釈はゲンの頭のなかにぎっしり詰まっている。大切な教えはいつもゲンと共にあり、どこにでも持って行ける。そしていつでも思った時に、瞬時に引き出しから出すことができるし、その教えの引き出しは無尽蔵である。何とエコであり、何とコンパクトで、便利なものだろうか。

私も最近出張が多いので、自分の持ち物を飛行機にもっていける20kg以内のスーツケースと手荷物くらいに減らしたいと考えていたところ、やはりリュックひとつという境地には全然達することができないな、そう愕然と思った。我々がたとえば、死ぬ前に病床にもっていけるとすれば、スーツケースと手荷物くらいしかないだろう、そう思ってきた私の考えは全然甘かった。ゲン・ロサンくらいになるとリュックひとつでいいわけだ。これがチベット仏教最高峰ゲシェーの実力である。我々日本人のために教えを教えに来てくださる人はこんな素晴らしい人である。この機会はなんとも楽しいものであろうか。

今回はゲン・ロサンの新たな本格的な転法輪である。ケンスル・リンポチェの一番弟子であり、現在のチベット仏教最高峰の先生がどんな教えの雨を降らせてくれるのか、それが楽しみでならない。

私たちはものに囲まれているがそんなに幸せではない。ものを少なくして、心で楽しい旅をすることはできる。カメラがなくても眼に風景を焼き付ける事ができるし、大切な人との別れがあっても、その人たちのことを忘れない限り、その人たちは心に生き続けるであろう。

私には最近仏典の一語一句に触れるたびにケンスル・リンポチェが教えてくださった、その奥深い、そしてユーモアのある教えが非常にリアルにいまも聴こえるような気がする。「人に依らず法に依りなさい」このことが非常にリアルに最近感じられる。

私にとって、そして我々の会にとって、ケンスル・リンポチェが残してくださったものは、計り知れないほど大きい。しかし、それはとてもコンパクトで、私たちが最期の息を引き取るまで、常に肌身離さずもって歩けるものなのであろう。


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