2011.02.08

どんなに師が偉大であろうとも

仏教を少し勉強してみると、仏までの道は本当に長く厳しいことがわかる。まずもって、帰依することからして難しい。入り口からして超難関である。だったら、最初から皆を仏にしておいてくれればいいのにと思うのは、私の怠け心だろうか。悉有仏性であるならば、みなが仏になってもおかしくないはないはずである。

そんな私の心を見透かしたかのように、ゲンチャンパは先月の広島での説法の中で、

「我々は皆仏となる可能性を有している。だが、自分が学ばなければ仏となることはできない。自分の師がどんなに偉大であっても、弟子が精を出して学ばなければならないのと同じだ」

と説かれた。
そういえば、以前他の先生も、

「釈尊は我々に仏となる道を示してくださった。しかし、我々が仏となるかどうかは我々自身にかかっている。『仏』というのは、師が弟子に移し替えてやれるようなものではない」

と語っておられたことを思い出した。

いつも全力投球で我々に法を説いてくれるゲンチャンバ。それを活かすも殺すも私たちにかかっている。なんと厳しい道だろう。

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